2月の罪悪感を手放すというテーマが今月になってその重要性に気づくことが多くなりそう。積み残しではなく、手放し残しのないように軽やかでいましょう。
3月は、多くの人にブレイクスルーが起る流れです。ブレイクスルーは、気づかないうちに起ることはありません。意識できる領域の中で起りますし、それはあるポイントを意識的に、意志をもって越えていくことです。それはとても小さな勇気かもしれません。ずっとわかっていたことを「実践している自分」が知っています。そう在る自分になること。それがブレイクスルーです。当たり前のように、そう在るだけです。
罪悪感は、特に、更に幸福になっていくとき、更に拡大するときに出てくるものです。
望む世界を前にするとそれは強烈に出てきます。
私たちは集合的無意識に様々な痛みを経験しており、様々な理不尽や不合理があったことを覚えています。自分だけが幸福になったり、自分だけが抜きん出ることは、苦しみの中にいる人々を置き去りにするようなそれが出てきます。
ですが、自分自身を小さく縮めていても、我慢しても、苦しみの中にいる人々を救うことができないことを受け容れなければなりません。自分自身をより幸福になることで、彼らの目覚めや氣づきに貢献することはあっても、より一層苦しめることにはならないということを受け容れなければならないのです。
どんなによいことであっても、あなたを苦しめたり、制限になってしまったり、魂の声を封じるようなことは、誰にとっても迷惑なのです。一見、エゴに見える中に神のエッセンスがあることを、あなた自身が見つけることです。抗うことのできないずっとそこにあった「それ」をなかったことにしないでください。
そして、そのブレイクスルーと同時に目覚めが起ります。目覚めはブレイクスルーとは違い、意識的に行うことではなく、文字通り自然に起ります。ブレイクスルーと目覚めが別々のものではないような一体感で起るのです。
目覚めは、朝目覚めるように自然です。誰にも起こされることのできない。自らのリズムで起る種類のものです。新鮮な朝を迎えてください。無垢な赤子の様に真っ新な今を生きるのです。
「わたし」であることをこれ以上ないほど、愉しむ準備はできましたか。
幻のようなこの生を「わたし」として生きられることの奇跡を。