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週末に開催したスピリチュアル心理学講座は海外の受講者様とオンラインで開講。
本当に便利な世の中になったことを実感した。と、同時に今までもそうであったように逢うべくして出会ったという実感があった。しかも完璧なタイミングで。今。それが全てだと思い出させてくれた素晴らしい時間だった。本当に自分は恵まれている。そう言わざるを得ない。
いつにも増して、本質的なことがテーマとなった講座になったのは、受講者さんの意識がそれを求めていたからなのだろう。
私自身は、変態レベルで本質的なことをやりたいので魂がバーニングしていた。基本講座であっても、どこまでもディープにできるものなのだ。シンプルなことの中にある深淵なる本質。
言葉にすると言い尽くされたような決して新しくないものなのに、新発見したような、ずっと探していた懐かしさに触れるようなそれを。

それを知って何になるの?

って、観念的なこと、意識的なこと、哲学的なことのような「神棚にあげて見上げるものみたいなもの」が
自分の中に流れているの。だから、それを知って使うのよ。
使って、なんぼなのよ。
その「ああ、そうだ」ということを自分が実践するのよ。
そうしないと、その本質は生きないからね。
自分が実践することで、その神棚にあげているようなものが命を宿すの。

自分という存在と共にね。
私はそれと共に生かされていると実感している。
切り離せない。
在るものが無いことにはもうとっくにできなくなっている。
それはある種クレイジーなのかもしれない。
クレイジーかもしれないけど、めっちゃ当たり前の普通のことなのだ。

あまりにディープすぎて、濃度が高すぎると言われることもある。
だけど、薄めた方がいいと言う人はいないのも面白い。
効きすぎるポイズンは良薬でもあるということか。

私は私でしか生きられないことを祝福しよう。

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