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抑圧のない人生はないけれど、その抑圧を感じられる自分でいたい。

よい人が起こす事件、親孝行な子どもの凶行など、事件に触れると

誰もが持っている種のようなものが見え隠れします。

絶対にそんなことしない、なんて、ないんだと思う。

いたとしても、ではそれが褒められることかどうかと問われるとわからない。

善悪はあるものの、それだけでは何とも言えないこともある。

抑圧されていなければ、きっとそんなことは選ばないだろうことは、

事件など極端な出来事が教えてくれる。

 

ペンタゴン・ペーパーズ」を観た。

抑圧されていると氣づかないで、どんどんエスカレートしてくる。

正義の名の下に、権威を守る。

自分の権威と尊厳のために、多くの若者を戦地に送る。

既に勝ち目のない戦いとわかってからも。

誰もがおかしいと感じていてももみけしてしまう。

今を守るために。

変わりたくない。

自分が責められてしまう。

恥をかいてしまう。

失墜する。

見捨てられる。

黒い歴史に名前が残ってしまう。

 

 

そんな恐怖は、一部の権力者だけではなく、個人レベルだってある。

負の連鎖は、心理カウンセリングでも、とても大切にするところだけれど、

言うほど簡単ではない「負の連鎖を断ち切る」こと。

期待に応えたい。

喜ばせたい。

がっかりさせたくない。

そんな愛情からの抑圧が根っこだったりするのだもの。

それは社会にまで及んでいく。

 

すべて起る出来事は

どこかでつながっている。

 

 

様々な怖れが白日の下に晒されたとき、

ある種のゆるしすら感じるだろう。

 

それは解放だから。

 

ペンタゴン・ペーパーズでは、

報道する側が自分たちのそもそもの役目を果たす勇気を描いている。

自分たちも存続はもちろん投獄も覚悟で。

 

氣づいてもなお、解放しなければ、その負の連鎖は止まらない。

 

恋愛やパートナーシップにそれが根強く残る傾向があるのは、

愛情交流という根源的な、そして、生命維持的な重要なところだからだと思う。

 

抑圧は、氣づいたら、氣づいた分だけ解放する。

 

自分が罪悪感をいだくようなことも含めて、ゆるす。

ゆすること。

自分をゆるすこと。

 

それが解放なのだと思う。

ゆるしのない解放はないし、解放のないゆるしはない。

 

神は既に赦している。

そもそも罰を与えない。

すべては学びのプロセスなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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