心理カウンセラーになってから、ほぼ毎日のようにコラムや記事を書き続けてきた。
それは集客のためというより、自分の内側にある、それこそもう爆発しそうなくらいのエネルギーを放出したかったからなのだと思う。
子どもが泣くと母乳が溢れるみたいな理屈を越えた反応みたいな。
父が亡くなった時も、母が亡くなった時も、書くことを休むことはなかった。
カウンセリングは、それとは違う、セッションというように誰かとハーモニーを作り上げる。母が亡くなった時は、一ヶ月くらいカウンセリングができなくなった。それなのに、母が亡くなった翌月に、ずっと温めていたコラム(「緒〜umbilical cord〜」)を一冊の本に書き上げた。心にあるエネルギーを文字にするということは、ホームページなり、ブログなり、何らかリリースすることだけど、自分の世界の中での独り言みたいな行為だからかもしれない。
とにかく私の中にはたくさんの想いがあって、エネルギーがあって、情報があった。情報もこの仕事をしてから、今までの比ではないほど押し寄せた。もう出さないとパンパンになってしまうのだ。そうやって書き続けて、書きまくった。
ブログの更新の頻度が下がったのは、ここ数年のこと。溢れるエネルギーがなくなったのでもなく、情報が来なくなったわけでもない。出すことに躍起にならなくなった感じだ。これは「歳を重ねた」ということなのかもしれないと思うが、自分ではわからない。セッションやクラスなどで、触れ合った人に共有することで、何だか満足してしまう。日々、情報がくるけど、別に私にだけくるわけじゃないと感じていることも、一つなのかもしれない。
そもそも推敲などすることもなく文字にしてきたけど、最近はライブ(セッション、講座など)でますます率直になっているのではないかと思う。言いたいことを言って、伝えたいことを伝える。
求められた時にできることをする。
かっこよく言うとそんな感じだ。私の中で、いい意味でなりたい何かがなくなってきた感じだ。やっぱり歳を重ねたからだろうか(笑)思考で考えるヴィジョンが尽きた感じだ。もちろん人間としての欲があるし、人としてどこまでも未知のことを体験したい。それも愉しんでいる。美味しいものを好きな人と食べて、愛し合って、温もりの中で眠れて、新しい体験をする。最高かよ。嬉しいことも、胸の痛むことさえ、愛おしいのだ。
そんなこんなで、日々は、充実していて、シンクロニシティのままに生きています!
ルーティンが全くないのは、ハリがないので、毎週水曜にSpotify「朝水久美子ラジオ」配信しています。