久しぶりも久しぶりの開講となりましたヒプノセラピスト養成講座。
先月(3月16日)の地震により、最終講義の日が延期になり、昨日、無事、スクーリングと卒業実習が終わり、ヒプノセラピストが誕生しました。
オンラインで進めてまいりましたが、最終日は、木曜、日曜の両クラスの受講生さんが対面できたのは楽しかった!
ヒプノセラピーは、誘導だけなら、誰でもできるけど、セラピーとなると、かなり奥が深いのです。
ヒプノセラピスト養成講座に限らず、私のセラピスト養成の講座は、スパルタです(笑)
毎回、楽しいと思いますし、叱ったりすることはないのですけれど、とにかく自分自身を内観しないと始まりません。
技術は、基本ですが、それは磨けば身につきます。それは努力すればいい。
だけど、技術で補えないものがある。
セラピーは、人が行う以上、セラピストの主観や無意識的な信念、心理的健康度合いが必ず影響するということ。
完全に中立にはなれないし、いつでも心も体も元気なんてわけにはいかないから、
いろんな状態、いろんな自分を自分で受け入れる在り方ができるようにすることを最優先して進めます。
その感覚をつかめるようになると、セラピーに限らず、人生の質が明らかに違ってきます。
そして「自分を大切にする」「手放す」「愛する」などの、「わかるような気もするけど、それってどういうこと?」ということが、全身全霊でわかってきます。
このようなことは、いくら説明しても、その状態にならないとわからない領域がある。
わかったと思ったのに、また忘れちゃったり、わからなくなっても、どこへも行かないとわかるだけでいいのよね。
だって自分の中にあるから。
その「自分の中に在る」という感覚も、大事。
自分のことをそう思えるから、相手のことも信頼できる。
必要以上に押したり、引っ張ったりしなくてもいいとわかる。
そして、自分の限界も知る。
できないことがある。
できないことがあるなんて、そんなの当たり前のことなのに、できないとダメだと思ってしまうよね。
特に想いがあることは。
私もそうだったなぁ(汗)
想いがあることは悪くない。
だけど、どうにもならないこともある。
それでも、どうにかなるのだもの。
自分のことを過信するわけでもなく、卑下するわけでもない、健康的なバランスがそれぞれあるんだと思う。
最終日の卒業実習が受講生さんの最大の関門なのだけど、
ものすごいアドリブ力を要するセッションを体験して、ものすごく勉強になったと学びにしていた。
その姿には心が躍ったわ!
私も、まだまだ学びの途中。
癒しの連鎖がありがたい。
各種講座は、リクエストにより開講しております。