いつもすごいなぁと思う友人が
「手に入れる前と手に入れた後ってどっちが幸せなんだろう、結局」とつぶやいていたのを聴いて、
勝手に「相変わらず深いこと考えてるな」と思った。
これって究極のところ、どうなんだろう?と気になるところ。
彼女は、物質的なことだけじゃないことを問うていたと感じる。
欲しいモノが手に入る前、手に入れた後。
欲しいモノというのは、文字通り物でも、人でも、状況でも、成果でも、祈りでも、
いろんなこと全般で言えると思う。
欲しいな~、という時にしかない幸福感もある。
まだ持っていない(現実に手にしていない)という「無い」ということだけにフォーカスしなければ
これからの可能性であり、それは希望とも言える。
それを考えては、ワクワクできちゃう。
そして、その時点では手にしていないことの最大の特徴である『失うことがない』。
それもまた幸せなのかもしれない。
始めたら終わりが来る
繋がれば離れるときが来る
得れば、失うことがある
手に入れたら、それが失くすことでも、壊すことでも、命を見送ることでも、いろいろな喪失は必ずついてくる。
手に入れたことで満足して味わうことを忘れたり、失うことを心配したり、
思っていたのと違うと感じたり、実際に終わったり、失ったり、手に入れることで始まるいろんなことはセットでやってくる。
本当に手に入れたいモノは、手に入れるまでも、その後も、たくさんのモノをもたらしてくれる。
それはハッピー♪ハッピー♪だけじゃないこともたくさんある。
それも含めて、厚みであり、味わいであり、そこに込められるモノもすべて幸せなんだとやっぱり思う。
幸せになると、幸せになる前と思っていた時期も幸せだったと知る。
ずっと幸せだったんだ。
それを知らなかっただけ。
それがどんなに辛くても、悲しくても、孤独でも、
今とは全然違うし、戻りたいかと言えば絶対に戻りたくないけど、でも、やっぱりずっと自分は幸せだったんだ、と。
幸せを知ることの喜びと残酷さはセットだったりする。
18禁みたいな世界。
世間の18禁にする意味はわからないけど、
その世界を自己責任で愉しめないからということなのかな。
でも、年齢じゃないよね、とツッコミを入れたくなる。
知る前と後。
どちらが幸せなんだろう。
知らない方が幸せなこともあるかもしれない。
でも、知ってしまったら知らないことにはできない。
幸せになる前は、夢と絶望を見られる
幸せになった後は、夢と絶望を生きてる
という感じかな。
夢と絶望か。
絶って解放されることもある。
絶って始まることもある。
絶望だけだったときから、信じられないほどの幸福感を感じるようになった今。
それでも果てしない幸せの奥深さに圧倒される。
絶望しか見えなかった時は、世界は小さく感じた。
幸せが見えると、その反対側と共に広がっていく。
一面しかなかった世界が、一気に立体的に広がっていく。
そして、果てしない宇宙のように世界が見えてくる。