幸せになっちゃった。どうしよう
というBlogにも書きましたが、人は幸せになるとどうして居心地が悪くなるのでしょう(笑)
幸せになるというのは、高い視点を持つという側面があります。いろんなことは起りますが、どうあれ、着地点は「でもな、幸せだし」というところに落ち着きます。
そうすると自分のあら探しが始まったり、不安を探したり、無意識に(こんなに幸せなのだから。。)と愉しみを制限したりしがちです。
それから「自分の現在地がわからない」という感覚になる声も多く聞かれます。だからといって、何か深刻な悩みがある訳じゃない。こまごましたものはあるけれど、何かを変える必要もない。
「どっちでもいい」これが幸せな人の感覚の象徴的な側面です。満たされていることに疑いはない。変わってもいいし、今のままでもOK。投げやりじゃない、どっちでもいい。これらは、ものすごく幸せになった時の反応として覚えていてください。
どんなに幸せになっても、学びは続くし、イヤなことがまったくない訳じゃない。普遍的な満足感や望んでいた以上の幸せに戸惑う。
苦悩から学ぶということを長い歴史の中で繰り返してきたので、どうしても苦しみがないと調子狂ってしまうみたいなことがあるのかもしれません。
今まで苦悩から果てしなく学んで来たように、幸せや喜びから果てしなく学ぶことができます。
何の苦しみもないということはありません、いろんなチャレンジはどこまで行ってもあります。
ですが、結果として、私はひとりじゃないのだな、と思えるところに、感謝へと着地します。
幸せになればなるほど、自分だけでは余るので、幸せエネルギーは他者にシェアすることになります。
幸せになるということは、自分を赦すことであり、他者を赦すことであり、自他を受け容れること。
愛であるものを見抜き、選び、創造します。
孤独ではなく、そのつながりを感じて生きること。
それは、愛に生きることです。
昨今の凄惨な事件がある度に胸が痛みますが、自分が幸せになることは誰かを孤独にするのではなく、誰もが幸せになれること、そして、人には切れないつながりがあることを体現することなのです。
それは誰かに証明せずとも、集合無意識的な変容に影響を与えます。
誰もが愛し愛される存在だと思い出すことに
自分が愛なのだと思い出すことに
結果として、貢献することになるのです。
幸せになって戸惑っている方は、ぜひセッションでお待ちしてます☆
そのようなセッションをクライアントさんたちは「参拝目的」とおっしゃいます(笑)
幸せでも、どっちでもよくても、面白い方がいいに決まってます。
自分を愉しませること、喜ばせることは、必ず、誰かを愉しませ、喜ばせることにつながるのです。
遠慮しないで、面白く生きましょう。
もちろん、幸せに向かいたい方も!
それはもう、私の得意分野ですので、特別な時間になるよう、いつまでも初心を忘れず心をこめてセッションしております♡