スピリチャル界の大御所がスピリチャルを全否定というニュースが話題となってます。スピリチャルが良いとか悪いとか、そんなことではなく、各々が自分の世界観を再認識する時ではないかと思います。
それはスピリチャルなことをするとか、しないとか、全く関係なく、とても現実的に生きている人でさえ、スピリチャルなこととは無縁ではないからです。
ここに生まれて来たこと、それ自体がとてもスピリチャルなこと。でもそれはとても自然なことなでもあります。
自然、と、スピリチャル。
私はこれをとても似ていることだと捉えています。
人と人が出会うこと。スピリチャルであるし、自然なこと。
私はスピリチャルなことは、地球上で言うと「空気」という存在に近いと感じています。
目に見えないけれど、ちゃんとあって、恵みを与えてくれている。
目に見えない存在といえば、亡くなった家族もそう。大切な家族。もう声も聴けない、触れられないけれど、消えてしまったわけじゃないことを多くの人も感じているのではないでしょうか。
見えない存在は、ありとあらゆる次元に存在しています。上とか下とかではなく、役割の違う存在たちで、人間もその中の一部。
スピリチャルは、全体性なのです。
ですから、スピリチャルな存在をことさら強調したり、使わなくても、スピリチャルに生きることは幾らでもできます。でも、その言葉を使わなくても、そこにあることを感じているから、安心感を感じられるのです。
自分を通じて、出会った人を通じて、ありとあらゆる感情を感じながら、その全体性を感じ、学んでいる私たち。
光だけではなく闇もすべてひとつ。
分離、排除ではなく、統合へと向かう時です。
自分の世界観。
自分にとっての普通なこと。
自分の真実を再評価するとき、そして、自分が知り得ない世界への感謝の時、なのかもしれませんね。