家族の学びは、果てしない。
そこから得られる安心感は、何者にも代えられないものがある一方、
家族ほど、強烈に感情を揺り動かす存在もいないものだ。
昨日、ビックリすることがあった!!
夜遅い時間に珍しく長男から電話があり、神妙な声で
「今、だいじょうぶ?」と。
なんだか怖くなるほど、改まって。
「(私の弟)生きてた!今、店に来てる。」
え========!!!!
「そうなの!!」
「うん、間違いないと思って、声かけた。そうしたら、オレのことネーム見て、気づいて。
店長に知り合いかと言われたから、おじだと言ったら、言ってくれたらサービスしたのにと言われたんだけど、
実はこういう事情があってと話したら、すぐにお母さんに電話するようにと言ってくれて、電話した。
今も、マンションに住んでるって。」
「そうなんだー。居るんだ。仕事してるのかな、きっと、仕事しているだね。」
「そうだと思う。こうやって店に来て、食事してるし、白髪が増えて髪はちょっとボサボサだけど、前から比べたら、まず仕事しているような服装だったよ。」
「よかった。。。。生きてたんだね。」
「お母さんの携帯番号教えるね。携帯番号聞いてみるけど、とにかくお母さんの連絡先だけ伝えるよ。」
すぐにアメリカに住んでいる妹に連絡。
彼女もホッとしていた。「生きててよかった」と。
朝になって、息子に連絡したら、息子も「生きててよかったね」と何度も言ってくれて。
「携帯聞いたけど、歯切れ悪くて教えてもらえなかったけど、ipadのようなタブレット持っていたよ。
連絡するかどうかは、わからないけど。とにかく生きててよかった。
命さえあればまずOKだよね。他に代えられないから。」
息子の言葉にも救われた。
弟を助けられない自分を責めていたところがこんなにあったんだと、感じた。
弟は生きていて、生かされていたと思うと本当にホッとした。
連絡がなくても、もう心配しない。
弟は、しっかり生きていける力があるんだと 神様から言われたような気持ちになった。
その人の力を信頼する。
私の学びだなぁ。
放っておけないのは、心配してしまうのは、信頼が足りなかった。
どんな過去があろうとも、信頼する。
家族のこととなると、難しく感じることもあるけれど、
またひとつ「ほら、だいじょうぶだったでしょう」と教わった気がした。
生きていた
ということだけで、喜んでいる家族のことも、いぎなり(すごく)愛しく思った。