虹 2

得ることと失うこと。

それを超えていくこと。

失う(と見えること)は、得たからこそ体験できることであり、その時に込み上げてくる感情は、様々なことを教えてくれる。

得ることの喜びと感謝の深みは、失って気づくことがあまりにも多い。

それ故、失いたくないあまりに、せっかく体験できることを制限するのも如何なものか。

得る失う。そこに因果関係はない。喪失に関して、人間は底なし沼のような恐怖を抱えている。

手の中にあったものが、どれだけ大切なのか、それを己に問えばよい。

それが大切なことだとしたら、本当の意味で失うことなどない。

目に見える、見えないが、在る、無いに限らないからだ。

 

それでも、愛する人との別離は格別にこころを揺さぶられる。

大切にしてきたものを失うも、また同じ。

悲しみは悲しみとして、それだけにこころを奪われてはならない。

罪悪感や後悔もそうだ。それだけにこころを奪われてはならない。

恐れは、恐れを深くしていく。

あらゆる面を見る。

それを我が眼とするがよい。

それは高次の視点とも言う。

小さな信念に捕らわれ、恐怖を排除しようとすることなかれ。

排除は、排除したものを大きくする。

古きは、結界を張り、大切なもの、人を護った。

しかし、最早、結界など必要がなくなった。

護られるべきは護られる。

波長の合わないものは引き合わないからだ。

恐れは恐れと引き合い、愛は愛と引き合う。

それは明らかにネガティブであろうと、ポジティブであろうと、実のところ、ネガティブな でも、ポジティブでもない。

いずれにしても、自分自身と出会っているのだ。

自分が本当に望んでいる生き方を今すぐにする。

どんな些細な仕草でも、言葉でも、選択でもいい。

「本当はそうなのでしょうけれど」というもっともらしい言い訳は、自分を分離させてしまう。

大切なのは、自覚して生きること。

失うことを恐れずに現実化することを受け入れるだけだ。

 

本当に望むことと、現実に乖離があるとしたら、統合へ向かえばいい。

極の自分と出逢う。

ひとつになっていく。

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

    • kumi
    • 2018年 7月 30日

    こんばんは。

    このメッセージ、目頭が熱くなりました。

    今年は、様々な別れがあったので、余計に身に染みました。

    対象はひとつ(一人)ではありませんが、後悔や罪悪感に苦しくなったことも、一度や二度ではありません。

    LINE@のメッセージは、ドキッとしたけれど、このメッセージは、とてもあたたかいなと思いました。

      • kumiko-asami
      • 2018年 7月 31日

      kumiさん、コメントありがとうございます。

      あたたかさを感じたとのこと。後悔や罪悪感に苦しみながらも、何かを深く知ったのでしょうね。

      いつもありがとうございます。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA