得ることと失うこと。
それを超えていくこと。
失う(と見えること)は、得たからこそ体験できることであり、その時に込み上げてくる感情は、様々なことを教えてくれる。
得ることの喜びと感謝の深みは、失って気づくことがあまりにも多い。
それ故、失いたくないあまりに、せっかく体験できることを制限するのも如何なものか。
得る失う。そこに因果関係はない。喪失に関して、人間は底なし沼のような恐怖を抱えている。
手の中にあったものが、どれだけ大切なのか、それを己に問えばよい。
それが大切なことだとしたら、本当の意味で失うことなどない。
目に見える、見えないが、在る、無いに限らないからだ。
それでも、愛する人との別離は格別にこころを揺さぶられる。
大切にしてきたものを失うも、また同じ。
悲しみは悲しみとして、それだけにこころを奪われてはならない。
罪悪感や後悔もそうだ。それだけにこころを奪われてはならない。
恐れは、恐れを深くしていく。
あらゆる面を見る。
それを我が眼とするがよい。
それは高次の視点とも言う。
小さな信念に捕らわれ、恐怖を排除しようとすることなかれ。
排除は、排除したものを大きくする。
古きは、結界を張り、大切なもの、人を護った。
しかし、最早、結界など必要がなくなった。
護られるべきは護られる。
波長の合わないものは引き合わないからだ。
恐れは恐れと引き合い、愛は愛と引き合う。
それは明らかにネガティブであろうと、ポジティブであろうと、実のところ、ネガティブな でも、ポジティブでもない。
いずれにしても、自分自身と出会っているのだ。
自分が本当に望んでいる生き方を今すぐにする。
どんな些細な仕草でも、言葉でも、選択でもいい。
「本当はそうなのでしょうけれど」というもっともらしい言い訳は、自分を分離させてしまう。
大切なのは、自覚して生きること。
失うことを恐れずに現実化することを受け入れるだけだ。
本当に望むことと、現実に乖離があるとしたら、統合へ向かえばいい。
極の自分と出逢う。
ひとつになっていく。
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2 thoughts on “虹 2”
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こんばんは。
このメッセージ、目頭が熱くなりました。
今年は、様々な別れがあったので、余計に身に染みました。
対象はひとつ(一人)ではありませんが、後悔や罪悪感に苦しくなったことも、一度や二度ではありません。
LINE@のメッセージは、ドキッとしたけれど、このメッセージは、とてもあたたかいなと思いました。
kumiさん、コメントありがとうございます。
あたたかさを感じたとのこと。後悔や罪悪感に苦しみながらも、何かを深く知ったのでしょうね。
いつもありがとうございます。