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2018年魂の処方箋ありがとうございました

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昨年11月から限定で行いました「2018年魂の処方箋」たくさんの方に受けていただき、ありがとうございました。

昨年は、個人のことをリーディングしていたのに、世の中の全体の流れのようなものを感じましたが、
今年は、全体を感じながらも、より個人レベルで「どう在るか」が大切なのだと感じました。

「どれにするか」「何にするか」ではななく「どう在るか」

漠然としたようでいて、自分にとって明確なそれを感じられたら今年はとても面白い年になると思います。

そこは自分が反応してしまう興味のあることに道しるべがあることは明確です。

また目の前に起っている出来事ほど強いメッセージはありません。

「自分にとって望むことが来たならば、迷わず手を伸ばし、掴むこと。」

それはどんな小さなことであっても夢のようなことなばずなのに、それを掴むことの難しさのようなものを、私自身の人生も含めて、たくさんの方のそれに触れた時に感じます。

また痛みを感じることですが、明らかに「行き止まり。別な道を進め。」ということを受け容れることも学びです。

それは、紛れもなく明確なものなのですが、今現在、もっとも熱中しているものを奪われる、諦めるというのは、辛いものです。

一般に、成熟した魂は、望むものを受け取るのが学びであり、現実を受け止めることにについては潔い傾向があり、

未熟な魂は、望むものを受け取ることは比較的簡単で、現実を受け容れるのが学びである傾向があります。

成熟した魂は、自分より他者を思いやることを無意識に優先してしまい

未熟な魂は、無意識に我を通そうとします。

 

恋愛や深い関係性でわかりやすく表面化します。

一般に、成熟した魂は、相手を思いやるあまり自分を表現することが疎かになり、相手を不安にさせたりします。

未熟な魂は、自分の気持ちや欲求を押し付けてしまうことになり、相手は窮屈さや鬱陶しさを感じて距離をとりたくなります。

成熟度の違いはあれど、どちらも愛なのですけれどね。

 

成熟している魂は全部美しいかというと、そうでもない。

成熟しているが故にねじれた時の呪い(笑)はおそろしいものです。
人が死ぬレベルで怖いです。

未熟さは、そのものはとても可愛らしいですが、それがねじれると暴走し、誰の言うことも届きません。
魂的に未成熟故、理解できないからなのですけれど。

愛で人は生かされることもあり、愛で人を追い込むこともある。

それ自体が学びなので、どうすればよいかなんて愚問なのです。

成熟していようが、未熟だろうが、シンプルに、素直に、自分の中にある高い視点と叡智に触れて、人生を実体験していくことで、より多くのことが視え、幸福感を感じるとが出来ます。

感謝があふれる。

それは、最も自分の身近なところから溢れます。

 

いずれにしても、自分に関係のないことは起らないし、目に入ることもない。

自分に起ったこと、目に入ってきたことが、最高のメッセージ。

それがよろこびでも、かなしみでも、いかりでも、かんどうでも。

たくさんのヒントと祝福に氣づけますように。

 

 

 

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