「自己認識のズレ」というトピックは、セラピーでは頻発します。
「私はこういう人」という自己認識は、かなり客観性のないものになっています。
「三歳のままアップデートしてない」状況なんです。
「私はコミュニケーションが下手」という方ほど、コミュニケーションがきめ細やかだったりします。
「私は空気が読めない」「アタマが悪い」「ブスだし」という自己評価。
まったくアテにならないなぁ〜(笑)
いつの話なのでしょう。
コンプレックスがあることによって、その部分が磨かれることはよくあります。
モデルさんは、コンプレックスの塊だったりします。
だからこそ、美に関してとても熱心ですし、努力しています。
だけど、本人にとって「努力」だと感じていません。
「何もしてないんですけど。」
というセリフ、よく聞くでしょ。美しい人はそう言いますね。
でも、一泊でも一緒にいるとわかります。すごく丁寧に自分を扱っていて、意識が高い。
それが当たり前だから苦じゃない。
コミュニケーションも、知性も、感性すら、同じです。
磨いてきたことすら意識しないほど、磨いてきていいるんです。
「その割にたいしたことない」なんてダメだししてませんか?
他の人の褒め言葉は、そのまま受け取りましょうね。
自己認識のズレの弊害は、自分が長所だと思っているところに偏ることで起ります。
それは親から承認を得られる部分、もしくは、親から全否定される部分に「こだわってしまう」ことにより偏り、固執し、ねじれていきます。
そのねじれにより「自己認識」がおかしなことになり、人生を創造します。
ねじれればねじれるほど、願いはなかなか叶わないような現実になります。
入力と出力がおかしなことになる。
途中のねじたプログラミングの仕業なのですが、例えば
「大好きな人と幸せになりますように」と願っているのに
ねじれ(プログラミング)により
「大好きな人からは愛されない」という現実を創ってしまうようなことが起るんです。
そのねじれは、自分の長所だと思って固執している自分の殻を破ることによってバランスされます。
ねじれがほどけていくんです。
「こうしない私は生きててはいけない」と思い込んでいる大切なことを手放すのは容易ではありません。
多くの人に触れていて、変化していく恐れの大きさと、
それを越えていく人の勇気をまざまざと見せつけられます。
最も受け容れがたいことが自分の変容の鍵になっているなんて受け容れたくないんだなぁ。
その多くは、ポジティブなことなのに。
です。
「そうかなぁ〜」
「ダメですよ、それは。」
「全然、真反対かと思ってました。」
でも、でも、でも。。。。。。。。。
という女神たちに
いいじゃん!
そこ、可愛いじゃん♡
私は女神たちの古い殻をやぶれるよう、愛を浴びせかける日々です♡