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芸能人の子どもが何か不祥事を起こし、親の責任問題など、その度に考えさせられます。

子どもの年齢的なもの、10代なのか、もう既に成人しているのか、などなど、状況も様々あり、一概に言えないことばかり。

ラジオでパーソナリティーの方が

「我が子のために、厳しくしなければ。」

とおっしゃっておりました。

我が子が可愛いからこそ、可愛がるし、厳しくもする。

厳しくしていれば、子どもが道を外れないかというと、そうでもないんです。

親が身を正していれば、子どももそうかというと、そうでもないんです。

親が自己一致していれば、子どもは幸せかというと、そうでもないんです。

親が怒らないから、おおらかに育つとも限らないし、

親がとんでもないダメダメでも、子どもが身を滅ぼすとも限らない。

 

親がどう在ろうと、子どもは人生の中で、親との関係性の中で、その子特有の学びをします。

理想の親なんて存在しないし、魂的には最も理想の親を選んでいるということは間違いない。

その「理想」は、「素晴らしい」だけじゃないということですね。

子どもは独自に親との関係性の中でテーマを選び、学んでいくし、

親も独自に子どもとの関係性の中でテーマを選んで学んでいるということです。

 

それは、コントロールできないこと。

いずれにしろ、子どもを産み出した以上、親としての責任や在り方は、問われることがつきまとう。

それが、親になるということのひとつの目的でもあると思う。

だからといって、何でもかんでも「親の責任」であるわけでもなく、そこは「個」としての学びの最重要人物の一人であることを越えない。

子どものやらかしたことについて、それぞれがそれぞれの人生での学びをする。

それ以上でも、それ以下でもない。

親がその子どもをどうにかできるように思うことが傲慢ではないか。

子どもは、ひとりの人間として、その人生で学ぶ責任があり、それは誰のせいにもできないこと。

 

私は、カウンセリングをご希望の若年者が、10歳に満たない子どもさんの場合、親御さんにカウンセリングをすすめます。

それは、親に全責任があるからという理由ではなのです。

親の育て方が間違っていると思っていません。

人生のごく早期に何か問題として現れる場合、子どもは強く親の人生へメッセージを送ってくれていて、

お互いの愛情のやりとりや人生への考え方など、根本的な信念を変化させていくことがチャンスとしてあらわれているのですね。

 

それは大なり、小なり、どの親子でもあるのですが、それが病気やアレルギーなどの身体的な形で出る場合、根本的な信念というより、

お互いを如何に愛しているか

というテーマを学び、あらゆる出来事を通じて、親子で愛について学びあうことになることが多いようです。それは長期間(数十年以上)それに取り組むことになります。

人間関係、社会性などに問題が出る場合、根本的な信念に向きあうことになるケースが多いように感じます。

お互いにどう生きるか

というテーマに取り組むことになります。劇的ですが、比較的短期間(といっても、数年単位、10数年単位)に取り組み、それぞれが自律的に生まれ変わるようなことを刺激しあいます。

人生はそんなにシンプルになっていないので、そのどちらか、ではなく、両方がフクザツに絡み合って学びあっているというのが現実だと感じます。

 

カウンセリングは、個人的なテーマから入り、根本的な信念に進化を与えることに向かっていきます。

それは、個人レベルではなく、意図していなくても結果的に集合的無意識に進化を与えることになる。

自分のことなのに、自分だけにならない。

自分の氣づきは、集合的無意識レベルまで進化させるんです。

 

カウンセリングの敷居が高いのは、根本的な信念への変化に恐れを感じるからです。

誰だって、現状をできるだけ変えないで、よくなればいいと思うでしょ^^

 

集合的無意識に進化を与える。

そんなことは考えなくていいんだけど、無意識にそこに向かって新しい一滴を落としていくクライアントさんに触れていると、本気で感動するわけですよ。

それが個人レベルであっても、どれだけのことか、私も体験中で身にしみているからです。

 

やりたくないことをしろということじゃない。

 

果敢な勇者たちは、誰に頼まれていなくても、それを望み、それを喜びとしているんです。

もちろん、現実的には悶絶していることも多々あるんですよ。

でも、やめられないんだよね。

魂が求めるから。

 

 

どんなに大バカなことをしたとしても、その側面だけみても、何もわからない。

 

 

親子って、本当にものすごい縁で出逢っている。

 

誰の責任云々を越えた学びをしあう特別な関係性。

突き放すか、守るか、どっちが正しいかなんて、そんな表面的な薄っぺらいことを軽々と越えるような学びをし合う。

それは誰とも同じじゃない。

 

手本がないんです。

当然ですが、ついつい、自分の親を基準としますが、それさえ越えていく。

内側の声というものは、それを教えてくれる。

 

私はカウンセリング、セラピーを通じて、自分の内側の声をしっかり聴こえるようにサポートしているに過ぎません。

それが、そのひとだけの真実を知る唯一のパワフルなことだからです。

魂は知っているのです。

 

 

 

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