我が家で一番の努力家で、ハイパークラッシャーでもある息子2号。頑張って、頑張って、自分で作り上げたものを壊すことを何度繰り返したことか。
自分を追い詰めるとは、こういうことだ
と、見せてくれたけど、自分の中にも、そういう部分があるな。だけど、家族の中で、激しく顕在化する人がいると、他のメンバーは抑制される。家族のバランスであり、学びだな。
その息子2号。最近、大人になってきた。自分を破壊して甘えるのではなく、いろんなことを受け止めて行けるようになったのかもしれない。
私から見て、彼はとにかく出会う人に恵まれてきた。ことごとく恵まれてきたのに、きっとそれを受け止めきれなかったのだろう。素晴らしい人に認められることより、理不尽が気になる。理不尽と戦い打ちのめされる。そんな彼をかなり俯瞰して見守ってきた。
昨日、お財布を失くしたと電話があった。比較的近くにいるとのこと。タクシーでうちの前まで来なさいと言って電話を切ったが、すぐに連絡があり、今日は職場の飲み会で、先輩に今日は奢る日なんだから、財布は要らない、まずは飲みに来いというので参加してから来ることに。なんとまぁ、お財布がなくてもご馳走してくれる先輩がいるなんて、それはいいわね。きっと、お財布も戻ってくるでしょうと思ったわ。
飲み会は相当盛り上がったみたいで遅くに連絡が来て、それから家に来た。夫がタクシー代を立て替えてくれて、和やかに話をした。「毎日、忙しくて色んなことがあるけど、人に恵まれてるから」と言う。あら、あなたはずっと恵まれて来たじゃない、と言うと、「そうだけど、ほんとにとびきり恵まれてるんだ」と息子は言った。恵まれていることに、しっかり向き合えるようになったのかもね。それはとてもいいことね。いいことに、感謝できるようになった、ということだから。
明日は休みだけど、床屋に行くつもりがお金がないというので、一万円と私のPASMOを貸した。お財布を失くしたのに冷静に対処していて、銀行もWEBで使えないように設定できるのだそう。便利な世の中。
「きっと、お財布は戻ってくるよ。」と私は何度か言った。「ここは日本だし、お母さんね、何回もお財布拾ったことあるの。全部、届けたよ。そういう人が多いのよ。きっと、そのままで戻ってくる。」
だって、自分は恵まれているって実感するようになったしね。
そして、今日、無事、お財布は戻ってきた。もちろん、そのまま。何も無くなってない。
意識って、やっぱりすごい。何年か前に九州に住んでる兄(私の息子1号)に会いに行った時、息子2号は財布を失くし、大パニック。自分の不運を呪っていた。お財布はお父さんからのお下がりだったけど、「お父さんからもらったお財布」自体に思い入れがあって、尚更、ショックだったのだと思う。ついにあの時は、お財布も中身も戻って来なかった。何か大切なものを失くす時、何かメッセージがあるのだと思う。だから、最悪な何かが起きても、私それは罰ではないと思うのよ。そのメッセージに気づいた時、何かが、有形無形、あらゆるカタチで戻ってくるような気がする。
昨夜、九州でのお財布失くした事件のことも軽やかに語っていた。見つかったというLINEの最後には、こんな風に書いてあった。
色んなことに感謝
結果が出たから感謝が生まれるのか、感謝があるからそう思える結果がついてくるのか。そこには何の因果関係がないのかもしれない。ただ、自分が起こった出来事をどうみているか。それだけのことなのかもしれない。良いことが起こったことをしっかり味わえるか。それが人生においては大きいのだと最近、今まで以上に実感しているところなのよ。私も、もっともっと人生味わい尽くすわ。