二回泣いた、そして

6月に夫が骨折してビックリ!
しかも私が出張中に怪我をしたため、心配をかけてはいけないと帰るまで内緒にしていたんだもの。三日間も黙っていられるなんて私にはできない。
幸い命には別状なく、私が帰るまで病院にも行っていなかった。
念のためレントゲン撮ってきてとお願いして、受診した結果「肋骨骨折全治2カ月」と診断されて
「また怪我したような気分」なんて言っていたけど、いろんなところに外傷があって痛かったせいか骨折の痛みがさほどでもないとのこと。
競技スキーなどをやっていても、骨折したことがなかったのにね。
でも、大事に至らなくて本当によかった。
自慢の自転車は壊れてしまい自分で組み上げただけに彼はショックだったと思うけど、私は自転車はどうでもいい!あなたが大事なのよ!という気持ちだった。でも、息子たちは優しく、『怪我も自転車もショックだったね』と言ってくれた。きっと彼は嬉しかったと思う。

怪我をしても変わらない日常。いつもどおり穏やかに優しい時間を過ごせることが本当に幸せだ。骨折していても、限りなく彼は私を大切にしてくれて戸惑うほどだった。
骨折しても変わらないのね。

7月に入り、ひょんなことから高校時代からの大親友が入院していることを知る。
私には言わないのね。きっと元気になってきてから「こんなことあってさー」なんて連絡してくるつもりだったんでしょ。もー!
「入院してるの?大丈夫?」とメッセージしたら
「子宮頸癌と卵巣腫瘍を悪化させちゃって、入院してるんだ。
何もすることなくて。
至れり尽くせりで楽させてもらってるよ」

手術はしていないとのこと、コロナの関係で面会に制限があるけれど、様子をみて状況が変わったら連絡するとメッセージしてくれた。

その状況だと、相当具合が悪いのだろうと想像ができた。
最後に会ったのは、3月13日。つい3ヶ月半前じゃない。

7月7日午前2時48分にメッセージが入っていた。
「明日からお見舞い来てもらえます。
受付で遠い親戚とか、危篤とか言って入って。
待ってるね💖」

朝起きて
「明日、いくね!
何か必要なものある?夢見たよ。」
「何もないよ
存在だけで充分💖」
そんなやりとりをして、明日というのが「今日」だと気づき15時までの講座が終わったら駆けつけることにした。夫はすぐにレンタカーを手配してくれた。

彼女の入院を聞いてから初めて涙がでた。もうこの世を離れてしまうと決めてしまったという予感をいよいよ受け入れなければならない感じが強くて、化粧しながら鏡の前で泣いた。
受け入れるし、尊重しているけど、私は、寂しいじゃない。

鏡の前で泣いている自分を見ながら、夫と結婚する半年前に母方祖母が亡くなるときのことを思い出した。私が祖母に付き添っているときに、病室が変わると看護師さんから言われた。祖母はそれを聞いて「おれはもう死ぬんだな。あの部屋は死ぬ人が行く部屋だ。」と言って取り乱し始めた。祖母は、珍しい骨髄性白血病だった。もう既に激しい痛みで、付き添っている私も身を引きちぎられるように辛かった。祖母を慰め、身の回りのものをまとめて、病室を移った後、母に電話をした。個室に移ったこと、その個室は死ぬ人が行く部屋だと祖母が取り乱してしまったこと。母は「わかった。夕方、交代するから、それまでお願いね。」と言った。
夕方、母と交代するときに、「はー、泣いちゃった。いっぱい泣いたから、もう大丈夫。」と明るく私に言った。母なりに覚悟をしたことを感じたあの日。

あの日の母みたいだと思った。相手に生きて欲しいとか、なんとか、そういうんじゃなくて、ただただ大好きな人がこの世を去る現実を受け入れ、悲しくて寂しいという自分をそのまま感じた。まだ病状を何一つ聞いていないのだけど、命のことの直感は望んでいないんだけど、嫌になるほど働きまくるの。いつも。

講座が終わって、夫が手配してくれた車に乗り込む。骨折しているにも関わらず、運転免許を持っているのは彼だけなので、鎌倉の病院まで、彼が運転してくれる。面会は限られた人しか叶わないので、彼は駐車場で待っててくれる。その優しさにまたこみ上げる。

7月7日。会いたい人に会えた。
私は、いつもどおり笑顔で「何よー、大丈夫?心配したよ、会いたかったー」とベットの彼女に近づいた。
別人のように痩せてしまったけど、すごく喜んで
「くみちゃん、嬉しい。涙出るー」
と言った。
痩せた手だけど、変わらないあの手を握りしめた。熱があるらしく熱かった。その熱さがなんだかたまらなく生きていると感じて愛おしかった。
「今日からこのお部屋なの。個室だし、この部屋なら、銀座のくみちゃんをお迎えできる!と思ってさ。前の部屋はイマイチ。くみちゃんを呼べる部屋じゃなかった」
なんていたずらっぽく笑った。
疲れるといけないから、短時間でと思ったけど、彼女の言いたいことをできるだけ聞きたいと思った。いろんな心配事が解決して、ほっとしていると言っていた。
私が東京に引っ越してきて、銀座でいろんなところに出かけたり、おいしいもの食べたりしたことを思い出して、あそこのお肉は最高だったね、あのフレンチも良かったね!、またいろんなところに行きたいね、なんて話してくれて、「うん、行こうね。いいお店探しておくからね」

「くみちゃんに会って、いっぱい話をしたいと思ったけど、会うとそれだけで安心して、どうでも良くなったよ。そして話を引き出すのが上手。あ、プロの人に上手って、失礼か!」って、少し笑った。
「全然、失礼じゃないよ、嬉しいよ。」

彼女の結婚式以来、お兄さんと病室で再会した。27年ぶり。連絡先を交換して、その後、彼女の容体や面会の時の様子をお互いに報告した。
週に二回くらいのペースで、会いに行き、その度に夫はレンタカーを手配して私を鎌倉の病院まで連れて行ってくれた。

ある時、「来るとき、ハーブティーお願い」とメッセージが来た。リクエストが来て嬉しくて、張り切って選んだ。カモミールのブレンド。柔らかく優しい香りのハーブティーを持って病室に行くと、紙コップにお湯を用意して待っていた。「もうぬるくなっちゃったかな、でもちょうどいいか」なんて言いながら、ハーブティーをいれて吸飲みに入れ替えて飲ませた。
「あー、美味しい。このセレクションよね。さすが。」と言った。
「これで今夜、これを飲むたびにくみちゃんを思い出すよ。」

病院の夜は長い。長い夜にほんの少しだけでも心があったまればいいな。

会うたびに、衰弱しているのが感じられたけど、それよりもこんなになるまでひとりで暮らしていたことの方が驚いた。
5月22日に末期癌であることを診断され、治療を望まず、自宅で過ごすことを選んだ彼女。6月29日に自分で救急車を呼んで病院にきて、即入院。全身状態が良くなかったためすぐに輸血の治療がなされたとのことだった。

それでも彼女はポジティブなことしか口にしなかった。
自分をめぐる全てのことを肯定的に捉えていたのは、精神力ではなく悟りなのだと思う。
そんな彼女が「もうやってらんない!」とばかりに身体にあるチューブを全部抜いてしまい、主治医に大目玉を食らった。
面会に行ったら、彼女の方から教えてくれた。
「私さー、ご乱心しちゃってさー。
この全身チューブが嫌になってさ、全部抜いちゃったんだよね。
すごく怒られちゃってさー」
なんて無邪気に笑った。私は、その話をお兄さんから聞いていたし、面会の申し込みをした時に担当看護師さんにも「チューブを抜いてしまったんです。でも、チューブは必要なので(ご理解ください)。」とお話しされた。
「チューブ抜いて、苦しくならなかった?」と聞くと
「苦しさよりね、やってやったーーーー!って気持ちの方が強くてさ」
なんて清々しく言い放つ。なんか嬉しかった。変な話だけど。
「ま、でも、チューブしてみたら、ちょっとは楽かな」
なんてすぐに言ったけどね。
空気読みまくりの彼女が、やってやったーーー!なんて。
なんだか胸がスッとした。
お兄さんに、彼女がそんなことを言ってましたよ、とメッセージしたら
「主治医はご立腹だったで、二人は高校生がいたずらしたような感じで、和みました」とお返事をくれた。
彼女は、入院直後、変わり果てた姿に言葉を失ったお兄さんに
「死は最悪ではないんだよ」と言ったという。

脚のむくみは、随分前から出ていたようだけど、
リハビリの方がきて、マッサージをしてくれていた。
基本的に毎日してくれるそうだ。
その日は、入院してから初めて、車椅子で院内をお散歩したという。
チューブ抜き取り事件!のあと、少し状態が良かったからなのかもしれない。
天気がよかったら富士山が見える広い個室で、
「疲れたけど、すごく気持ちが良かった」と言っていた。
廊下では、どなたかが歩行のリハビリ中で、訓練の声が響いていた。
「リハビリだね、いいなぁ〜、私も早くリハビリしたい」
うん、そうか、そうだね。

コロナの陽性者が増え、どんどん面会が厳しくなっていった。
出産の方も、ご主人も立ち会えずという話をたくさん聞いていたので、それでも会えることが本当にありがたかった。
ある時に「原則的に面会は禁止です!」と言われ、担当の看護師さんに相談してみますと言って受け付けて許可をもらって病棟まで行ったこともある。
彼女にも、もしかしたら、今日はダメかもしれない。看護師さんに相談してみるとLINEをした。看護師さんに話したら、確認してくれて「短時間なら、どうぞ」と言って通してくれた。
私の顔を見るなり、看護師さんに
「私ね、彼女に会わないと、もうこれ以上(病気と)戦えないの、お願いします!」と言っていた。
この前の時は、手はむくんでいなかったのに、手にもむくみが出てきた。
冷たいアイスは喉越しが良いらしく、クーラーボックスの中のアイスが溶けていたので、買いなおして、食べてもらった。
パピコは、寝ていても食べやすいけど、硬くて口元まで中身が来ないから
「くみちゃん、もみもみして」
私は、何度も、パピコをモミモミして、柔らかくして、食べやすいようにした。
力強く吸って、おいしそうに夢中で一本完食。可愛かった。

「くみちゃん、もう時間」
「そうだね。疲れちゃうね」
「違うよ、疲れないけど。
旦那様が待ってるでしょ。よろしく伝えてね。
きてくれてありがとう。」
うん、わかったよ、私のこと、心配してくれてるんだ。もー。
またくるね。
手を握ったら、むくんでいる彼女の手より、私の手の方がぷくぷくで、彼女は笑った。
「これこれ、このくみちゃんの手。好き。変わらない、あの頃と。」

これが、この世で私たちが交わした最後の言葉。

その後、彼女は緩和ケアのある病院に転院となり、私は、仙台に出張があって、週末に移転先の病院に面会できるように、お兄さんが病院の方に説明してくれて、許可をいただいてくれた。

いつものように夫がレンタカーを予約してくれた。
前日にお兄さんから、血圧と酸素濃度がかなり悪化しているので、泊まるつもりで来て欲しいと主治医から連絡があったこと。そして、そしてほとんどの時間を眠っているような状態で、時々目を開けて何かを言おうとするけれど、聞き取れない状態だということを聞いていた。

「今夜、逝ってしまうのかな。待ってて、明日いくから。」
心の中で祈った。
その日が来て、11時にお兄さんからお電話があった。
意識がなくなり、病院から家族以外の面会を控えて欲しいと言われたこと。お兄さんは、彼の奥さん名義で入ってもらおうか、悩んだけれど、そういう訳で今日は面会が叶わないということ。昨夜、泊まって、いつもの面会と違う、まるで一緒に暮らしているような感覚で一緒にいられたことがとてもよかったと、声を詰まらせていた。
最期の時は、家族で過ごして欲しいと私自身強く願ったことと、様々な決断をする立場のお兄さんがそこまで悩んで出した結論の重さ、その想いを大切にしたいと思った。
それを夫に話し、
「でも、病院の敷地まで行きたい。そばに行きたいから、予定通り連れて行って欲しい。」
と言った。なかなか明けない梅雨空の中、首都高に滑り込む。7月に入って何度、ここを通っただろう。途中に羽田空港を通るけど、ああ、ここが彼女の元職場だったんだなぁ、なんて通るたびに思った。
転院して初めて訪れる病院が近づいたら、空がパッと晴れて、虹がかかった。
「虹だよ!」
と興奮して声をあげた。青空が広がった病院の駐車場。止まっている車がほとんどない。
「行かなくて、いいの?」
と、夫が聞いてくれた。
私は彼女の病室がある階を見上げて、
「来たよ。」
と心の中で彼女に語りかけた。

「うん。大丈夫、ここでいい。」

しばらくそこにいて、
「ありがとう。何度も、何度も連れて来てくれて。」
と夫に心から感謝を込めて伝え、駐車場からでた。
すると、また虹がかかった。それから、何度も、虹をみた。

その日の夜9時過ぎに、お兄さんからメッセージがきた。
看護師さんが意識はなくなっても、聴覚は最後まで残ると聞いて、
私がお兄さんに送った一部を読んでくれたという内容だった。

「私にとって、彼女はいつも押し付けない優しさと心地よい刺激を与え続けてくれる唯一無二の存在です。
きっと、これからも。」

そして、翌朝5時半にメッセージが届いた。
「おはようございます。先ほど、亡くなりました。
看護師さんが好きな飲み物を聞いてくれたので、久美子ちゃんが買ってきてくれたハーブティーをいれてもらって最後に飲ませました。
本当にありがとうございました。」

安らかに。
すごく頑張った。
なんとなく、彼女が楽になってホッとしているような感覚を感じて、
寂しさと同時に穏やかさが私を包んだ。

人生の最期の時をこんなに濃厚に関わらせてもらえて、そうしたいという願いが叶って、とにかく感謝の気持ちが溢れた7月だった。夫への感謝もひときわ。行く時は会えるという気持ちで行くから明るい気持ちになれる。
そして、会っている時は、話ができるできない関係なく、高校時代に戻ったように「今ここ」で一緒に居られることを楽しめた。
でも、帰りは、病状の変化も感じるし、病院へ残して行くような気持ちになって、毎回、胸が傷んだ。
そんな時に夫がそばにいてくれて、本当に心強かった。

誰かの死に触れる時、私は、その死も含めてその人を最大に尊重したいと思っているし、そうして来た。
そうできるように、できる限り会いたい時は会う、言いたいことを言うことを心がけている。
コロナの中、これだけ関われたのは奇跡みたいだったと心から思えた。

 

その晩、深夜。眠るタイミングを逸してしまった。
隣でスヤスヤ寝ている夫の寝息に幸せを感じていた。
すると、ふと彼女の存在を感じた。
いつもの笑顔で私をみている。
「私は最高に満足したわ」と言う。
すると私の目から涙が次々に溢れて来た。

「その満足感、わかる。伝わってくるよ。そして、それを誇らしく思うよ。」

「わかってくれていること、すごく嬉しい。
くみちゃんは、まだよ。まだまだやることがある。
やりたいことがあるでしょ。」

涙が止まらない。
彼女はその人生に満足していることが嬉しいのと
「完璧」
と笑っているのが嬉しいのと、
私はまだここでやりたいことを思う存分やるつもりだけど、そこに彼女がいないことが
限りなく寂しかった。
彼女との繋がりは永遠になった。
その静かな喜びとこの世で物理的に会えない寂しさと、出会えた感謝が溢れて
次々に涙が溢れた。

私が泣いているのを夫が気づいて目覚めた。
声をあげずに泣いているのに、何かに気づくのね。
彼は私がなぜ泣いているのか、何も聞かずに優しく抱きしめてくれた。
その優しさと果てしなく大きなものに包まれているような時間だった。

最高に寂しい時に、最高のあたたかさと大きな愛が結集して包む。

 

 

 

「私の人生も最高で完璧だね。」

「うん、もちろんそうだよ。
そして、まだやりたいことがある。いいね!」

「こんなに満足していて、毎日こんなに幸せでも、
まだやりたいことがあるなんて、私って欲張りだな。」

「そういうことじゃないでしょ、わかってるくせにー」

二回泣いたけど、私は、また大切な思い出が増えた。
その大切な思い出と共に生きている。

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