セラピーで「自尊心」がテーマになることがしばしばある。
そして、この自尊心はこの人生を心豊かに生きる上ではとても大切なのね。
でも、ここで確認したいのは「自尊心を上げるために何かをやる」のではないということ。
自尊心が低いのではなく、自尊心から離れた自分でいることに気づくことが大事。
そもそも自尊心の低い魂なんて存在しないわ。
自分という認識に、解離が起こっていることに気づきましょうよ、という話。
自尊心が低いのではなく、自分との解離が起こっている。
なんと言っても、解離していると、自分の人生を生きられない、不自由、制限がありまくりです。
とても苦しいのですが、不自由、制限が欲しくて、解離していくんですよ。
自分という真実から離れていくことで、救われるような気になれるのが地球の面白いところ。
それはダメなことではなくて、この社会に、この地球で生きていくために適応しようとして起こったこと。
例えば、自分なんか、愛されないという設定でいくと、愛されないと思えるようなシチュエーションが来ても、「ほーら、やっぱりね」と納得できるような気になれる。
その出来事を攻略した気になれる。
わかった気になれる。
自分を誤魔化すのがうまくできる。
そのことで安心した気になる。
気になる、と連呼しているのは、それは、本当はそうではない、自分を結局は騙せないってこと。
だけど、この自分から解離していくプロセスは、自分を知るため(感じるため)には、結構、使えたりする。自分と違う感覚で生きた経験が、その違和感により、自分を深く知ることになったりする。
でも、だらだら、いつまーでも、解離していると、そっちが自分だと錯覚し、でも違和感や不快感があるからエスカレートしていくのね。
エスカレートが進むと、もう信じられないほど不快だから、それを誤魔化すには、もうお酒なり、薬なり、麻痺させないと生きるのが辛くなるのよ。
でもそれは、魂が呼んでいるんだと覚えていて欲しい。
こっちだよ!
と呼ぶ声を無視しないこと。麻痺させちゃダメね。
そこそこ解離していた方が生きやすい時代だったのね。
だから、心理療法も、ヒーリングも、自分をうまく誤魔化して、そこそこ解離させることで苦痛を和らげる、みたいなものがある。
それは、頓服みたいな感じで使えた。
でもね、もうそういうのは、不要な世界になったの。
自分をうまく誤魔化せたなんて幻だもの。
これからはそれは通用しない。苦痛すぎるからね。
わかろうとしすぎないこと、謙虚であること。
そうすると、不思議と必要なことは、ああ、そうか、と腑に落ちるような理解がやってくる。
自尊心へ話を戻すね。
そもそも、自分は自尊心があるんだと、もう降参するの。
自分は自分を尊いと知ってたし、もう知らないフリするのは止めると決めるのよ。
クセで、また自分をおとしめようとしても、しつこく思い出すの。
もういいことないよ、解離していてもね。
どんどん、自分に戻っていく。
自分の尊厳を思い出していく。
そういうところに居るの、私たちは今。
思い出すために、それが自分のホームだと思えるように
私にできることをしていくね。