2008年12月から月間メッセージを書いています。
メッセージは、私の場合、言語で受け取るわけではなく「光」で受け取ります。それを日本語に翻訳するような感覚です。
メッセージは、等しく絶え間なく降り注ぎ、それは、言語を遥かに超えたものです。
メッセージは、例えるに夜空を見るような、風景を感じるようなものであり、あらゆる解釈ができるわけです。ですから、チャネラーが違えば、言葉は如何様にも表現されるのです。
昨日も月間メッセージを書きあげたのですが、如何様にも解釈できることの例として、おどろおどろしいバージョンも併記してみようかと思ったのですが、やめました。
どうしても私には、おどろおどろしいバージョンがフィットしなかったからです。
「そんなこと言ってない」という感覚が強かったのです。
最大限、俗っぽくやってみようとしても、最大で、せいぜい「今のままなら、こんなことに、あんなにことになるから気をつけろ」的な。
もうそういうのがもう違和感でしかない。
そんなこと伝えてきていない。
様々なことが絶え間なく起こるけれど、
このテーマをあなたはどうやって乗り越えるか、みせて
あなたの答えをみせて
今、こんなチャレンジがあるけれど、
あなたの人生で、それをどうしていくのか、みています
メッセージは、答えを言っているのではないのですもの。
絶大なる信頼を寄せている。
どう乗り越えていくのかみている
みせて
みているから
私自身、東日本大震災が起こりますよ、なんて情報は知りませんよ。
予め知っておく必要がない。
何が起ころうと、そうでなかろうと、起きてくる出来事に自分としてそれを受け止めて生きる。
ただただ、みんなと同じように、ひとりの人間として必死こいて生きている。
同じです。
でも、天の、その信頼を強く感じている。
O S ウォーコップの「生の挙動 living behavior」と「死の回避行動 death-avoiding behavior」があるけれど、人間は前者より後者に突き動かされて生命を維持し、命を繋いできたようなところがある。
「こうしたい!」いうより、「こうならないように」という衝動の方が強かったということです。
精神的な成熟に伴い、恐れより意志(愛)にパワーを与える段階に来ていると私は思います。
それがクオリティーオブライフを高めていく。
命の時間の長短ではなく、「今」の濃度を高めていく意識。
いろんなことを後回しにするのではなく、自分が「これが大事」と思えることを優先していく生き方。
それがどんな表現になるのか、
みているよ
と見護られている。
今までの意識で、想定して対処していくというやり方ではない新しい創造が至るところで始まっていて、そこに意識を向ければそれが見えてくる。
それは、あなたのことなんですよ。
自分より優れている人が何かをやってくれるのを発見するのではなく、誰かがあなたを見つける。それが同時に相互に見えてくる。
力を明け渡さず、自分のやるべきことに誇りをもって愉しむ。
そんな感じでメッセージをお届けしています。