生きていると、それはもういろんなことが起こります。
「あれは、どんな意味があって起こったのだろう。」
なんて考えるようになったことも、ひとつ人間の進化なのかもしれません。
それはあたかも自分以外の誰かが与えたように感じられますが、自分の選択により現れて来ています。
自分の選択で、なんて、そんなの選んでいない!
というようなことばかりが現われている気にもなりますが、選択しているのです。
それはネガティブなことばかりではなく、ポジティブにも現れます。
自分が選択していないと感じられるような嫌なこと、
自分が選択していないと感じられるようなステキなこと、
その全てが自分が選択しているとしたら、あなたは今、何を選びますか?
ああ、これは自分が選択したんだと感じられるようになるには、プロセスが必要かもしれません。必ずしもそうしなければならない訳ではないのですが、ほとんどの人は、プロセスも必要です。
目の前に現われた出来事を受け入れること。出来事だけではなく、その出来事に反応する自分を受け入れるのです。
そのとき、新しい視点がもたらされます。気づきです。
今まで生きていて、もっとも痛みのある出来事を受け入れ、その出来事を選択した自分を受け入れ、それはあらゆる側面のある出来事だということを、新しい視点を持って、本当の意味で知ることを許してください。
それは、美化することではなく、自己憐憫することでもなく、ニュートラルな真実です。
あるとき、私は、そのことにフォーカスしていました。それまで様々な側面で、その出来事を受け入れることを重ねて来ましたが、完全な理解には至っていないという感覚が残っていたからです。どこかに抵抗を感じていました。新しい視点を感じる抵抗です。
その朝、不意にその答えがやって来ました。
完全なる自由
と内なる声がはっきり言いました。
まだ少し抵抗したい感覚を振り切るように、きっぱりと。
でも、、、というエゴの声を採用するのが難しいほどに。
完全なる自由を生きることを選んだ私を信頼すること。
その私が、今ここで選択していくこと。
それが私のスピリットの求めであり、表現なのだから、愉しもう。
シンプルに愉しもう。