大きな大きな変化の中、故郷から離れ、東京へ引越しことを決断して、2年半。
「来て良かったですか?」
という質問に明確に「はい!よかったです」と言い切れない私。自分で決断したにも関わらず、何がなんだか、それが自分にとって良いのか、整理がつかない感覚が強い。そのきっかけは確かにポジティブなことではなかったけれど、良かったか、悪かったか、で言えば、きっと圧倒的に「よかった」ことが多いのだろうと思う。もう、もう、もう、感謝してもしきれない状況。それなのに、この晴れない感じ。。。私自身は、この大きな転換期でメリメリと変化した感じがしていない。この大きな変化で変化しきれない自分にダメだししているような感覚。こんなに多くを与えられているのに、イマイチな私ったら不甲斐ない。なんて思ってました。
そんなこんなで自分に意味不明のダメ出しをしているせいか、大きな変化による疲れが出たのか(きっとそれもあるんだろうな)、今年に入って、体調不良が長引き、違う症状ではあるものの、体調不良の繰り返し。「もっと休め」のサインの目白押し。こんなに休んでいるのに〜〜。という私の叫びも虚しく、強制ストップが。
そして、遂に、前のめりの私が、文字通り、前に進まないように脚に怪我をしてしまいました。。。全治3、4週間という診断。1週間は松葉杖。
ここで、いつものリズ・ブルボー「自分を愛して」(スピリチャルな家庭の医学の決定版です!ぜひご家庭に一冊)
「あなたの意志とのコンタクトを取り戻し、目的に向かって突き進んでください。あなたはそのために必要なものすべてを備えています。あなたがすべきなのは、自分の内なる力を思い出すことだけです。あなたが望むものに向かって新たに出発し直すための強力な動機を、ぜひ見つけてください。」
これを読んだとき、まさにーーー。そうよ、強力な動機をずっと探していたのよーーーーーー!!!
探すと言っても、いわゆるなものを探しても、そりゃ見つからないはずだよ。私、現実的にわかりやすい目標・動機を探しちゃってた!「◯◯をする」「◯◯をカタチにする」みたいな。
ここへきて、らしくないことを。。。必死に。。。そうしなければならないと無意識に思い込んでいた。
だって、私だもの。それらしい動機や目的を掲げてその興味も情熱も長続きしなかったではないか。今まで、何度か全力でそうしようとして、上手くいった試しがない。私が何か現実的な目標設定をしなければならないという意識になっているということが、もうらしくないことなのよ〜。自分にしかわからない情熱につながらないと。言葉にすると、ものすごくわかりづらいけど、自分ではめちゃくちゃ明確なヤツにつながらないと。そういう時の私の現実化は、神がかったように恐ろしく早い。そうだった。
もうこれは、(私にしかわからないようなアレが)心に浮かぶまで、まず脚を安静にして、与えられたセッションに集中して待っていようと思った矢先に。
キター。。。!!!
「明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体」(原民喜:随筆「沙漠の花」より)
羊と鋼の森の原作がとてもよくて映画もついに観た。それに出てくる重要な言葉が、原民喜さんの随筆の上記言葉よ。きっと本にも出てきたはずなのに、その時は、はー、いい言葉だなぁ、くらいの感じだったのだろうな。
タイミングというのはこういうことを言うのね。
その言葉が刺さった。シビレタ。震えた。
明るく静かに澄んで懐かしい瞬間。
少し甘えているようでありながら、厳しく深いものをたたえている瞬間。
夢のように美しいが現実のように確かな瞬間。
それを私が創ることだ。
明るく静かに澄んで懐かしい言葉。
少し甘えているようでありながら、厳しく深いものをたたえている言葉。
夢のように美しいが現実のように確かな言葉。
それを私が紡ぐことだ。
明るく静かに澄んで懐かしい存在。
少し甘えているようでありながら、厳しく深いものをたたえている存在。
夢のように美しいが現実のように確かな存在。
そう私が在ることだ。
それに向かっていく。
それなんだ。
羊と鋼の森で、主人公の新人ピアノ調律師が、初めて仕事で大きな挫折を体験したとき、落ち込む彼に、彼の憧れのベテラン調律師が「お祝いだ」と大事な道具をプレゼントしてくれるシーンがあった。
「どうしてお祝いなんですか?」と聞く新人調律師にベテラン調律師は
「きっと、ここから始まるんだ。だからお祝いしてもいいんじゃないか。」と。
私自身が、今、この時、この瞬間に
「きっと、ここから始まる。」と今まで、自分自身に言えなかったということだけなんだ。
命在る限り、いつだって始まる。
今まで積み上げてきたものがすべて無くなっても。
そして、目に見えない大切なものは何も失っていないどころか、どんどん増えていっているのだから。
あー、なんか、気が抜けた。そうだったじゃん。私。
私の家族は、心配しきり。息子からは、「内部は実年齢相応ってことなのかな。だから色々セーブしていかなきゃなのかもね。ただでさえ、パワフルなんだから」というメッセージが。
パワフルだなんて思ってもいない。むしろへなちょこだと思ってるのよね。だって、私はもう支えてもらってばかりだもの。でも、そんなこと言っているからいかんのだな。私も自分が思っているより、たくさんを与えているということを認めます!はい!
好きでやってるからね、やってる気がしないのよ。
アメリカに住んでいる甥っこからお見舞いのイラストと日本語のメッセージも嬉しかったなぁ。漢字まで書いてあって。(涙)
おかげさまで、手術とか必要ないくらいで、とにかく安静だけが治療。一週間過ぎれば、ある程度、歩けるようになる見込。幸いなことに、私の仕事は座ってできる!(キラン☆)クリエイティブな時間は、イキイキさせてくれます。