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どうして私にこんなことが起こるんだろう。まさかまさか!まさか私が幸せになってしまった。愛し愛されて結婚し、優しい夫、子供たちに恵まれ、小さいけど、かけがえのない、夢見ることすらしなかった、でも、きっと最も望んでいたことが私の日常となってしまった。暴力どころか暴言を吐かないどころか、優しく私を守り、愛してくれる夫。そういえば、結婚当時は、そんな奇跡はいつまで続くのか不安で、

「いつまでそんなに優しくしてくれるの?」

と真顔で何度も聴いたものだ。その度に、

「ずっとだよ。」

という夫の言葉と優しい手の温もりを感じて胸がはち切れんばかりに震えたことを思い出す。それでも心の中では「きっと今、彼は恋の病が続いているからこうしてくれているけど、きっとそう遠くない未来には、父のように豹変してしまうことも覚悟しておかねば。」と思ったものだ。それでも嬉しさと安心と歓びは止められなかった。その感覚がどこか恐ろしさを感じるほどに幸せだった。毎日、夫が家に帰ってくることが嬉しかった。私の作ったゴハンを美味しいと食べてくれることや子供たちと触れ合ったり、子供を抱いたまま一緒に眠っている顔を見ては涙したりした。絵に描いたような幸せ。小さいけど、かけがえのない。私はこれがこの世の中で一番欲しかったものだと感じた。もう充分。この幸せを味わって、最期の日までこれを大切にしようと思った。ところが、そこで感じた幸せな気持ちは、封印していた「カウンセラーになる」という夢を呼び起こした。

夢も希望もなく、理不尽なことがまかり通るこの世界を受け容れて生きていくしかないと思って育ってきた。それが、「受け容れること」が、私にとって生きる術。そのために、どんなことがあってもその人の本質を理解することに心を向け、赦すということが私には必要だった。物心ついたときから、人の本質を理解しようとし続け、必死でゆるしてきた。幼い私にとって、この世界、とりわけ私の家族には、自分の夢や希望に意識が向く隙間もないほどに恐怖が蔓延していた。暴力、暴言で、死の恐怖を感じるほどの、心まで凍てつく空気の中、ひたすら理解と赦しに意識を向けていた。そして、私は、いつも祈っていた。

「ママがたすかりますように。

ママがわたしたちをおいてどこにもいきませんように。

パパがほんとうはいいひとでありますように。」

心の中で

「パパがしにますように。」

と願ってしまう自分の気持ちを呪ってみたり、受け容れてみたり。幼稚園児なのにひときわ大人びて、陰のある女の子。言葉にならない想いを抱えている子供と大人。子供たちは想いが大きすぎて言葉が追いつかず。大人は想いをどこか置き去りにして言葉足らずになる。かみ合わないもどかしさと苛立ちと諦めと悲しさが行き交う。それを感じて、その想いを掴み、言葉にしたり、想いを呼び戻したりした。年齢に似つかわしくない言動に、驚かれたり、褒められたり、気味悪がられたり、叱られたりした。あまりにも様々な反応にどんどん言葉は少なくなって行った。「言葉にしないとしたら、どんなことができる?」そんな自問自答を夢の中でもしていた。今思えば「あの頃の方がむしろ菩薩だよ」と突っ込みたくなる。

あまりにも理不尽すぎる矛盾だらけの現実。繰り返される父の暴力と家族への暴言。肉体的にも精神的にも傷つけているのに、愛しているんだ。あれでも愛しているんだ。未熟すぎる愛の表現。いっそのこと、愛なんて感じなければ、諦めが着くのに。いったい何を信じて生きればいいんだろう。言葉でも、行動でもなく、その奥にあるその想いを理解をすることで赦しが起きることを体感していった。というか、するしかなかった。

「わたし、きょうしぬのかな。」

という毎日。よく骨折しなかったと不思議なくらいだ。激しい痛みは、痛いというより熱さだ。猛烈な熱さを感じた。自分が生きているという現実、生きることを赦されているという日々にも、どこか申し訳ないような氣がしていた。とにかく気持ち悪いほど大人びていた私はそんな自分が好きじゃなかった。だけど、自分しか味方がいないとも思っていた。だからどんなに自分が好きじゃなくても自分を守ろうと思っていた。死のうと思ったことは一度もない。だって、生きているのだから。生かされているのだから。それは奇跡なのだから。それならと、人間のいろんな側面を受け容れて、エゴや恐れ、それによる悪魔のような気持ちや行動を理解しようとした。醜い部分をたくさん見てきたけれど、それでもやっぱり人に惹かれた。だから、たくさん人に優しくしたし、赦したし、尽くした。悪魔にもなれる人間の優しさを見た時、すごく嬉しかった。子供ながらに自分が役に立つならできる限りのことをした。小学生の頃から老人ホームのボランティアをしていたこともあり、人の死に、たくさん関わった。最期までほんの少しでも「人間ってけっこういいものだよ」と感じて欲しかった。ぬくもりを届けたかった。どんな過去を生きてきたのか、その皺だらけの手を握りしめた。いろんな想いを握りしめて来た手に触れる度に、限られた時だけでも温めたいと思った。その瞬間にその人の一生を共有しているような氣がしていた。私が欲しかったことを人にすることで、私が「生きてていい」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。地獄のようだと感じていたこの世界で少しでもホッとできる空間を作りたかった。私が誰よりもそれを必要としていたから。自分が人間のいろんな側面をたくさん見てきて赦そうと理解してきたから、人間のイヤらしい側面を見ても受け容れられた。

 

「だって人間だもの。」

 

それでも私は人間が好き。どんより暗くて、いつも人のことばかり考えている自分、絶望しかけているのに一筋の希望を見捨てない自分。そうそう。私はどんなに悲惨な状況でも一筋の光を見つけるのが得意になった。

いつしかそんな自分を「そういうところも好き」と思えてきた。いい人であろうとする自分、ほど遠いけど神様みたいであろうとする自分を好きだと思えてきた。神様みたいになれば、もっと人を理解できるようになり、赦せるようになるのではないか、と思っていたなんて、なんと切ないこと。

私は、父を赦したくて神様になろうとした。いろんなことがあって、ありまくって、紆余曲折を経て、幸せになってしまって、この幸せを自分のものだけにしておけなくてカウンセラーになったのは、運命だったのかもしれない。

私がカウンセラーになったとき、「神様みたいになりたい」という人々がたくさん私の目の前にやってきた。社会的にも人格的にも、みんなものすごく素晴らしい人ばかり。そして彼女たちは口を揃えて言った。

「私は優しくない。」

と。端から見たら神様みたいないい人たち。きっと彼女たちの側にいる人たちは、そんな大きな苦しみを抱えていたとは氣づかなかったと思う。普段は、しっかり役割をこなし続けていた人も多かった。これ以上無理だと悟って来た方もいた。人知れず、大きな壁にぶつかり、自分を呪って私のもとにやってきた。神様になろうとしたけど、できなかった自分を赦せずに。まるで過去の自分が私が進むべき道を示すかのように一斉に私の目の前に現れた。私がなぜ幸せになれたのか、その訳を彼女たちを通じて知ることになる。

(私のペンネーム宮城理紗として初の電子書籍「煩悩菩薩」より)

出てくるクライアントさんたちについて、ご本人の承諾を得て、ご本人が特定できないようにしながら書き上げました。フィクションではなく、ドキュメンタリー。リアルな現場と人間の様々な側面の呼吸を感じていただければ嬉しいです。

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