0 0
Read Time:46 Second

セラピーというテーマで、私は時間と空間を創っている。

その時間と空間の中には、「私」というキャラクターもわけられない要素になっていて、その時間と空間を体験することによって、来た方が何かアートに触れた時のように自分の姿や人生の方向性を見つけたり、心を動かされて勇気や元気や癒しを感じて、ドアの外に出た瞬間に自分が主役の舞台にイキイキと戻れるように。

私はどうも「愛」と「お金」にはリラックスしているようだ。愛やお金に関して、緊張感のあることがあったとしても、愛やお金が無くなるとは思っていないとしか言いようのないリラックスぶりに、我ながら呆れることもある。だから愛を感じられないなんてなかなか難しいし、50歳でまさに積み上げたものすべてを手放した時も、もちろん、いろんな気持ちになったけれど、それはそれ。ある流れが完全に終って、新しい流れに向かわなければならないことをどこかで感じていた。キラキラした未来が待っているなんて思えなかったけれど、これで終わりだとも思わなかった。昔から1番の指針である私の「今ある選択の中で最高の選択を」というのは健在だった。受け容れ上手のスーパーポジティブか!と結果としては思うけれど、いやいや、その過程は人間らしいものだ。愛が感じられなくなることはなく、お金はどんなに無くなってもまた注がれる泉のよう。喉が乾いて死んでしまうということがないのだと、しみじみ有り難く思う日々。私の年子の妹は、私と違って、お金の管理がスーパープロフェッショナルだ。仕事でも大きなお金の流れに関することをしていて、彼女にしてみれば「楽な仕事」なのだそうだ。「堅実に生きることが楽」という妹と「明日のことはわからないチャレンジがエキサイティング」という私。私は私で「楽」なことをしているのだと思った。人ぞれぞれ、自分に合った生き方に行き着くものだと話したものだ。その時に彼女は、チャレンジングな私の人生について「自営業とか起業家とか、お姉ちゃんみたいな仕事の仕方をしている人は、ちょっとクレイジーじゃないとできないよね」と言ってくれた。私は最大の褒め言葉と感じた。そうクレイジーなのよね。まさか自分がクレイジーな人生を選ぶなんて、ホント、人生わからないものだ。

前置きが長くなったけど、そんな私がリラックスしていないのが「時間」。私は時間にリラックスしていない。永遠の時間を感じるような体験をしたり、あの世とこの世をつなぐような仕事をしているにも関わらず、自分の肉体の「限られた時間」にとてもシビアなのだ。だからその時の自分にできる極上の時間と空間にこだわるのだと思う。これはとても贅沢なことだと思う。お金がかかるということもあるけれど、エネルギーも要る。きっと自分自身がエネルギッシュじゃないとできない。だからエネルギッシュなうちに出来る限りのことをしたい。これは何か自分の中から突き上げてくるような力で、それに抵抗することが不可能なような。食べたら排出。みたいな感覚。何かエネルギーが内側で生まれ、もしくは外側からもたらされ、とになく入ってくるから、それを放出するみたいなこと。それも生きている間。人間の身体を持っているからこそできる仕業。それを思う存分、愉しみ、味わい、提供していきたい。

晩年、もっと肉体的なエネルギー的なパワーが穏やかになったとき、もっとカジュアルな時間とのつき合い方をしたいと思っている。時々、夫とその話をするのだけれど、彼はきっと時間にリラックスしているから、フレキシブルにどんな時間や空間の質感もすんなり受け容れられ、溶け込めるのだな、と思った。晩年の話をして盛り上がったりするのだけれど、それは引退的なことではないことが笑える。

夫がマスターになって、こだわりのコーヒーを淹れたり、ワインを提供したりする。私は、お店の片隅で占いをする。占いが終ると、お客さんは、マスターのところで、「こんなこと言われた、あんなことも言われたよ」と美味しいコーヒーやワインを飲みながら話をする。マスターは、「そうなんだ。それはこういうことじゃないかな」なんて解説してくれる。「それに向かっていくなら、こういう石があるよ」なんて、マスターは、ポケットから一粒のキラリと光る石を出してくる。いつもじゃないけど、この人は!という人に、ドヤ顔でマスターは、その石を手のひらに載せるのだ。「これはあなたの石だよ」
そんなことをイメージしていたらお店の名前まで浮かんできた(笑)きっとこのバーションだって、今すぐにでもやろうと思えば可能な話でもあると思う。現実化って、自分が決めるか決めないかによるところが大きい。決めてしまえば、全部は自分で準備できなくても、本当に様々なサポートが入り、そうなっていく。

いろんな可能性の中のある穏やかなバージョンをイメージするけれど、私がもっと年を重ねたらそれを選ぶ日が来るのだろうかと、そのリアリティのなさに、苦笑してしまう。私は思う存分、思いっきり生きて、いっぱい受け取り、いっぱい放出していくのだろうと。少なくても今は。そしてどうあれ、私は身体が赦す限り、誰かの人生へ何かしら関わりたいと切望しているようだ。

 

Happy
Happy
0 %
Sad
Sad
0 %
Excited
Excited
0 %
Sleepy
Sleepy
0 %
Angry
Angry
0 %
Surprise
Surprise
0 %
Previous post 最も辛いのは
Next post 2019年2月のメッセージ

Average Rating

5 Star
0%
4 Star
0%
3 Star
0%
2 Star
0%
1 Star
0%

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください