先日、セッションの中で「波動を上げるというのは、どんなことでしょうか?」とご質問いただきました。
めちゃっめちゃシンプルに言うと
気分よく在ること
なのではないかと私は思います。
気分が下がっていると、目線や顔の角度は下がりますけれど、やる気満々のときやよし!とスイッチが入ったとき、気分がよい時は顔も目線も口角も上がっています。
波動があがっているとは、気分も上がっている、顔や目線が上がって、動きも軽やか。
軽いと浮き、重いと沈むでしょう。そんな感じです。
特殊なパワーを身につけることではなく、いつもじゃなくていいですから、できる限り、自分の気分が心地よく居ることを心がけてみる意識が大切だと思います。意識するは、コミットメント。コミットすると、日々、体験することから学ぶことも広がりますし、成熟し視野が広がることにより、更に様々な違いから来る摩擦や自分の想いや言動が人に伝わらないことの葛藤に振り回されることがどんどん少なくなってきます。それは、気分がよいことが自然に増えていくことです。
けして、無理矢理、機嫌良くしていなければならない訳ではないことを強調しておきます。そんなことをしても、フラストレーションが溜まるだけ。自分の気持ちに寄り添えるようになること、自分が何を感じているのか、それを自分自身にオープンになって、喜怒哀楽を感じること、落ち込むことも赦すと、逆に気持ちは穏やかに、柔らかになります。気分上昇状態のときよりも、気分が落ち込んだり、葛藤があったりするときの、自分への対応を丁寧にする方が大事なのではないかな、と私は思うのです。
赤ちゃんを見てください、子どもを見てください。
その純粋性を。
幼稚性ではなく、純粋性は、どんなに年を重ねても、最も大切な自分の宝物であり、自分のスピリットの輝きです。
そのスピリットが輝いている時は、例え、怒っていても、泣いていても、何もしていなくても、波動は高いことでしょう。
怒られたのに、心に響いた。
その涙に救われた想いがした。
何もしていないのに日常のありふれた一瞬に思わず口元から笑みがこぼれる。
よい波動は、理屈を越えて響いてくるものです。
自分を愛することは、世界を愛すること、すべてを愛することと切り離せません。
愛せない人がいてもいい。
自分を愛すればよいのだから。