ハタチで妊娠、21歳で出産した私。
当時は、子どもが熱を出しただけで眠れないくらい繊細な母親でした。
今でも基本的に敏感・繊細なところもあり、図太くなってたくましくなったところもあり、後者の方が育ったおかげで、どうみても、たくましい母になりました。
子どもを産んで感動!とか、涙!とか、そんな感じじゃなくて
ただただ自分の中で静かに覚悟をしたことを思い出す。
そういえば、結婚式だって、私は涙なし。自分にとって通過点にいるという感覚が強かったのよね。
大きな変化にめっぽう強い私だけど、大きな選択のときほど、迷いがなくなるのは、その時もそうだった。
この子を全身全霊で守っていこう
出来る限りのことをしてあげよう
何も持っていない自分が、我が子にしてあげられることは限られているからこそ、そのときの自分の最高のものを全部与えたい
そんな気持ちでいました。
まだまだ若い私。
必死だった私。
子どもの存在の大きさに圧倒され、自分の限界の小ささを思い知らされた。
出産直後の私。
思っていたことと違うことばかり。想定外の連続。
だけど、なんだか「そんなに(氣に)しなくて大丈夫だよ」といわれているようだった。
だけど、そんなことにも氣づけずに氣を張っていたなぁ。
生後8週間(まだ二ヶ月にもなってない。。。)で職場復帰。当時、国家公務員に育児休暇はなかったのでした。
氣を張って、張りつめていたから、突然、糸が切れて赤ちゃんといっぱい泣いたなぁ。
だって、夫に「ちょっと抱っこしててくれる?」と頼むのもドキドキだったんですもん。
親の影響とは大きなもので、母は家のことは何でもしていたし、父に頼み事なんてしなかった。
娘だった頃は「もっとお父さんに頼んでみたらいいんだよ。きっとまんざらじゃないはずだよ」と思っていたし、そんなことも母に言ったこともあったのに、無意識に反応してしまうのは、母の「母としての姿」が私に完コピされている!
それはそれで、すごいけど、おそろしー!!
と思って、勇気を振り絞りましたさ!
「ちょっと抱っこしてくれる?」から始まったのですよ。私は。
そんな言葉も、怒られたらどうしよう、別れると言われるんじゃないか、とハラハラしていたんです。
それは父の姿を夫に重ねていたから。
実際に、恐る恐る言ってみたら、軽やかに「いいよー」みたいな感じで拍子抜け。
それでも、また二回目に言う時も、ドキドキだった。重要なのは、相手の反応ではなく自分なのだ。
相手がYESと言おうがNOと言おうが、そこに勝手な意味付けをするのは自分なのだから。
YESと言われているのに「今日は機嫌がよいのかな。次はNOなはずだ」とかね。
相手の反応に自分の意味付けを載せてしまう。それが親から受け継いだ色眼鏡。その色眼鏡も、結局のところ、親がそれをくれた訳じゃなくて、親をみて「そうなんだ」と自分が感じて創り上げた色眼鏡であって、それは自分のものなのよね。
私はその色眼鏡を慎重に慎重に、色を手放していった。
おおむねニュートラルになったのは、結婚して10年を経過した頃だろうか。
そして、そこからも、色眼鏡はどんどんクリアになってくる。クリアになればなるほど、自分がくっきり見えるようになってくる。相手に投影していた自分の信念や概念が自分にダイレクトに返ってくるようになる。
相手がどうこうじゃなくて、自分はどうなのか。その自分として、相手とどう関わっていきたいのか。
甘えるのに、頼るのに、愛するのに、愛されるのに、条件は要らない。
私がそうしたいからそうする。
「ちょっと抱っこしてくれる?」を言うために、一世一代の勇気を振り絞るところからの、一歩一歩。土の中の種が育つように、少しずつ。一回言って、OKだったとしても、自分がそれを信じる為に、何度も何度も何年も何十年も勇気を振り絞ったなぁ。
そんな自分を思い出して、なんだかものすごく遠い場面のような気がします。
そして、その自分と今の自分が同一人物だなんて、とても胸が熱くなります。
今でも、かなり繊細だけど、大胆。
当時の自分も大好きだし、今の自分も大好き。
そして、今、完全に透明になんてなってない。
新しいことをする時に、やっぱり勇気を振り絞る。
完全に透明になることが目標じゃない。
今の自分で、その自分を尊重して、その完璧じゃない愛しい自分を表現することを愉しむことそのものが生きるということなのではと思うのです。