理想論じゃなくて

「理想論」それは『理想』っていうことでいいのよね。

「論」が付くと、まるで「現実的じゃない」みたいなニュアンスになるのね。

 

理想ってさ、叶うか、叶わないか、なんて関係ないことなのではないかな、と私は思っています。

叶わないなら追いかけないのか、ということじゃない。

「こうしたらいいよね」ということをどれだけ生きるか。

氣づきや大切に感じていることを人生に招き入れるのは、自分の在り方。わかりやすいのは、言動です。

 

「久美子先生は理想だけど、だれでもできるわけじゃない」と言われることが度々ありますけれど、それは、私の理想を生きているからであって、それぞれがみんな違う理想を生きればいいんだものね☆

っていうか、みんな理想どおりに生きてる。

でも、それが気に入らないのなら、本当の理想を生きればいい。

そして、それはとても、とても、シンプルなこと。

理想より、何を優先しているのか、氣づくだけなのだけど、人間、それが難しく感じるのね。

理想を生きるというのは、安定を生きることと対局にあることなのかもしれない。

理想を生きたら、安定はないよね(笑)だから、アホなんです。

現実的にいろんなことが起るし、もう大変です!でも、不幸にはなれない。

幸、不幸は、状況でもなければ、環境でもない。

心がそう感じるか、だけだもの。

 

幸せは、ハッピー!ハッピー!イエーイ!だけじゃない。

喜怒哀楽のすべてにも宿るもの。

悲しみの中にさえ、苦しみの中にさえ、悔しさの中にさえ、幸せはあるものだ。

幸せな人から、幸せを奪うことはできない。

 

 

理想を生きている人たちが、周りにたくさんいて、勇気をたくさんもらえる。

そういう人たちの目は、本当にステキだ。

誰かのために理想を生きているわけじゃない、自分の理想を生きているだけ。

誰とも違う自分のそれを生きるだけで、どんどん調和が広がるのだ。

 

理想論を生きるのじゃない。

理想を生きる。

「理想どおりの結果」に執着しない限り、人生は理想どおりだということが見える。

理想を生きてみて、理想どおりにいかなくたって、いいじゃない☆

そこへ向かっていくことが、幸せなのだもの。

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