「初めてのデートは、露出度が高い服?それとも清楚な感じ?」
「自分から手を繋ぐのはあり?待ってるべき?」
「不満に思っていることは我慢?それとも全部言うべき?」
なーんて女子の質問にTOKIOとゲストの西川貴教さんが答えていました。
当然、答えはそれぞれでした。どっちか、ではなく、あくまでもふたりの関係性の中でコミュニケーションして、お互いを知り合い、お互いにとって心地よさを作っていけばいいということなのですけど。
どっちがいいか、って、人によるよね。
なんて、元も子もない〜〜、ということは、お顔の造形のことじゃないんですよ。
その人らしければ、「似合っている」「しっくりした印象」がある、という印象に自ずとなると思います。そして、男女どちらも清潔感は大事ね。
最低限のコミニュケーションも苦手というならば、ハウツーもためになるけれど、そうでなければ、嫌われるのを恐れずにコミニュケーションしていくことです。自分をゴリ押しするのではなく、あくまでも、どこまで行っても、相手を知り、自分を知っていくことが恋愛であり、パートナーシップだからね。
どうすべきか、どんな関係性に向かっていきたいのか。
ほとんどの人は、恋愛のモデルなんてないと思う。妄想は別として(笑)
純粋に相手をみて、興味を持って、素直に自分らしくぶつかっていけばいいのよ。
どのような交流が心地よいかなんて、人それぞれ。正解のない世界。
先日、別な番組で「一世一代の勇気を振り絞って、LINEでデートに誘いました!初めてそんな気持ちになれたのに、既読すらつかない!おーい、未読無視かよ!」という女子の声がありましたが。
自分にとって一世一代だとしても、相手にとっては、知ったこっちゃない。相手が恋愛対象として見てくれるかどうかは、魅力のあるなしではなく、気持ちが動くか動かないかというような根拠のないもの。
せっかく一世一代の決心をしてお誘いしたのに、未読無視は悲しいけど、それも相手の答えだよ。
その出来事を、次にどう生かすか。
出来事は中立。
あー、ダメだった。ちーん。
じゃなくて、ね。そこからが、自分というものが現れるわけよ。
落ち込んでも、絶望しても、そこからどーするか。
それが人生であり、その時の自分を愉しむのよ。
恋愛は、本当に訳がわからないような縁で始まり、わけのわからない展開で結ばれていく。
自信もたなくてもいいし、ある種、運命を信じて今を生きることの方が大事な気がします。
縁が結ばれても、コミニュケーションは続く。前例のないコミニュケーションの連続。
さまざまな感情体験を愉しんで。
得られない何かや誰かに固執しない限り、
「自分は自分というだけで愛される」
ということが起こります。
誰かを目指さず、保証を求めず、自分としての成長、成熟していくことを愉しんでいれば最高のタイミングで最高のことが起こります。
起こったときに、わかります。
わかるというより、その現実の中にいるでしょう。