下重暁子さんの著書「極上の孤独」
なんともソソラレルタイトルではないか!
あるレビューで「著者は、広尾に住み、仕事があり、伴侶もあり、まったく説得力がない」「社会的な最低限の生活が営める前提の話、社会的弱者には当てはまらない」との辛口コメントもあったが、充分な環境があるからこそ言えることと見えるが、そうだろうか。
社会として、社会的弱者(?)に対して、様々なサポートをしていくのは、もちろん大事なことだけれど、そういうことじゃなくて、そもそも人としての在り方について、書かれたのだろうと感じた。
孤独になるべき!人に依存するな!ということじゃなくて。
所詮、人は、ひとりなのだ
ということを受け容れた先にある豊かさを私は感じた。
孤独になりたくない、という強迫観念で人生を窮屈で、不安がいっぱいにしていては、もったいないよ。
カウンセラーになって、初期の頃のクライアントさんで、まさかの「夫から三行半」を突きつけられた女性がいた。
なんとまあ、アイドルのように可愛い面立ちで、ピンク色の頬に涙の雨だった。
年齢は、30代前半。青天の霹靂だったという。
彼の決意は堅く、彼女はそれを受け容れるしかないと思って絶望の中にいた。
あまりに可愛らしいお顔立ち、そして、芯のある魂。どうしてそんなに絶望しているのか、理解できないほどだった。
そんな憔悴しきりの彼女に私は
「ひとりになってみなさい。ひとりで生きていくことを考えてみて。」
と言った。
なんと残酷な(!)と思うが、なんとなく彼女には、気休めなんて言いたくなかったし、彼女には、あらゆる可能性がある。もちろん、これから新たな出逢いなんて、いくらでもありそう!再婚だってもちろんするだろうな、と思った。
夫といろんな話ができ、彼女は離婚した。
その後の彼女の逞しい変容ぶりには、私の方が驚かされた。
ひとりになって自分を見た時に、見えてきたことがたくさんあったのだろう。
彼女は、どんどん別次元の美しさを纏っていった。
別人と言うか、生まれ変わったレベルで変化した彼女は、忘れられないひとりである。
自分の世界に誰もいない。
ということは、豊かでもある。
世界貸し切り状態。誰も邪魔をしないのだ。
前述著書でも「孤独が成長させてくれる」という件があるのだけれど、まさに。
これは、文字通りひとりで生きる、一人暮らしをすることも一つだけれど、何も山に籠ることではない。
私もこんなこと言って、あんなに強烈に愛してくれる夫がいるから言えるんだという声もあろうかと思うけれど、それは逆で、
自分はひとりなんだということを受け容れたら、
人間、ひとりになることはできない
という世界が訪れたのだ。
最高の孤独は、最高の共存の世界と切れないのだと思い知らされた。
あっという間に賑やかになってしまった。
自分のことを他人が理解しないのは当たり前だと思っていた
だから、理解しようとしてくれる人がいてくれることは喜びでしかない
それは親密な仲、だけじゃなくて、仕事でも、近所でも、同じ。
それでも、マヒしてくるのが人間。
その度に、氣づいて、そのピタッときた瞬間を喜び感謝に変える。
その喜びを充分味わえるのは、自分は自分でしかないという贅沢な世界の中で生きているということ。
それはすごく贅沢な体験、実感。
自分を味わっていると、自分が消えて行くような感覚になることがある。
個を極めた先にひとつになるような。
孤独を恐れず、今ここで、共に生きられることを味わうこと。
すべては奇跡みたいなことなのだから。