限界なんてないんだなぁ。
自分の知っていることなんて、本当にそれこそ見えないほど小さくて。
知るということは、知らなかったということに氣づくことと同時に起る。
知れば知るほど、わからないことが増える。
だから謙虚になれるのかもしれない。
夫婦としても、そう。
長く一緒に居て、知っていくことも多いようで
こんな面もあったんだ、あんな面もあるんだ、
勝手に期待して、がっかり〜、ということよりも
すごいなぁ〜、と思うことが増えていく。
深く関わるということは、深い部分の感情が露になる機会も増える。
自分の激しさも、優しさも、強さも、繊細さも、
自分がありのままに受け容れていくようなことと同時進行のような。
関係性もNo Limit !
なのよね。
関係性は、自分の隠れた部分を引き出してくれる。
本質的な部分が、出てくる、出てくる。
まさか自分がこんなに強かったなんて。
まさか自分がこんなに弱かったなんて。
まさか自分がこんなに愛したかったなんて。
まさか自分がこんなに愛されちゃうなんて。
30年以上も共に生きて、家族としての安らぎは両親とのそれよりも深くなり
オトコとオンナとしての潤いは限りなく。
「その秘訣は何ですか?」と聞かれるけど、
言葉にするなら、方法論を捨てることかな。
「やり方」じゃなくて、相手をみる、自分をみる。
育児も同じ。ナイスな育児法をするよりも、子どもをみる。
だから、愛するだけなの。
相手をみて、自分をみて、その上で、いろんな方法論は使える場面もたくさんあると思う。
うまくいかない関係性ほど、方法論に頼り、結局、戦ってしまう。
相手の目をみる。
つきあいたての頃は、言われなくても見つめちゃう。
目は、一番その人のビームが出ているところ。
見つめ合うだけで、すごくたくさんの交流になるんです。
もちろん、声を聴く。触れる。
ということも、すごく大事な交流、コミュニケーションです。
聴くにしても、触れるにしても、「交流」を意識して、相手を感じている自分を感じることが大切。
それが交流だから。
言葉もとても便利な交流。
使わない手はない。
交流することで、お互いがどんどん自由になっていく。
伸びたり縮んだりしながら。