「日本人の多くにスロートチャクラにテーマがある人が多い」と海外のセラピストたちは口を揃えて言います。
それはいい意味で文化でもあるけれど、何かを我慢して、何かを恐れて、口にしないのは、
もどかしく感じます。
特に変化や流れが早く多様化した現代は、言語、非言語でのコミュニケーション、自己表現は大切だと感じています。またひとつの歓びであるとも感じます。
Yさんは、巫女装束が似合いそうな、それでいて現代的な美しさを持つ可憐な女性です。
きめ細やかな気配りがあり、感性も豊かですが、それを表現することが苦手な部分があります。
恋愛においては、Yさんに限らず、最も自分の怖れが自己表現に無意識に出てしまうものです。
同じ恐れでも、その表現というのは千差万別。
道化を演じてしまう
ひたすら遠くから見つめる
とにかく突進してしまう
ある一定の境界線を作り、その手前でなんとなく様子を伺う
などなど
自分の特別な人へのアプローチは、パターンがあります。
それをどう解放してくかは、個々人によって違います。
奥ゆかしいYさんは、かなり手前に境界線を引き、様々な状況を見て、自己分析・完結してしまい、なかなかその線を越えることを自分に赦せませんでした。
どこか「私なんて。。。」と思ってしまうのだと、おっしゃっていました。
溢れるほどの想いがあるのに、それを表現できない。
それがもどかしく、自分でも悲しくなるのでした。
そこを見てみるとズバリ「表現すること」のバランスを失っていること、その根っこには「主人と奴隷」のテーマがあることが出ました。
重度の抑圧されたエネルギーやコミュニケーションの問題があり、過去世も含めた領域で服従を経験したり、その役割りから生じた人間関係の問題に関わっている可能性も見えてきます。
分離のパターンを見ると「スロートチャクラの妨害」と出てきます。
Yさんの場合、ひとりで抱え込んでしまうことがそのまんま現れました。
そこで元型(アーキタイプ)とシャドウのワークを行います。
その両極の側面を人格化してワークを行うのですが、それぞれに名前をつけていただき、ワークをすすめます。
彼女の元型とシャドウは、犠牲者とカウンセラー。
自分の部分(パーツ)を客観視するため、そのエネルギー的バランスを感じたり、
エネルギー的に統合するために行うのですが、
なんとなく抵抗がある方もいらっしゃると思いますが、非常にパワフルで潜在意識レベルに深く作用します。後からもじわじわ浸透するようなものです。
犠牲者の部分は、馴染み深くて、「ああそうだろうなぁ。」という感じもあり、でも、もうお役御免みたいで寂しくなっていました。ずっと自分を傷つかないように守ってきた部分だもの。
Yさんもこのようなワークをしたことがあるけれど、どこか自分が期待どおりにやっているような氣がするとおっしゃっていました。
はい、それでもいいんです。
ワークを続けます。カウンセラーの部分を体感してみると、ずっと自分の中に居てくれたことを感じます。
「深刻にならずに、もっと愉しんでいいよ!」と言ってくれる。
「ずっと応援してるよ」と。
両方の部分は、どちらがパワーが強いというより、どちらも弱い。
機能しきれない感じがしました。
ワークが終わってからがカウンセリングが生きるところ。
そのワークを深めて、自分自身の内側の部分のパワーを取り戻したり、統合をすすめます。
すると、Yさんは、犠牲者の自分も、「幸せになったら、お役御免ではなく」一緒に喜んでくれることを感じ始めました。
涙が溢れます。
「それが統合ですよ。」
そもそも切り離せない自分なのだから。
安心して、今の自分が幸せを感じたら、自分の中の様々な部分もひとつになっていくのです。
共に生きていて、自分を守ってくれている部分なのだから、惨めでいることを願っているわけではないのです。
するとカウンセラーのようにずっと自分を肯定的に見守り、励ましてくれている部分は、笑顔で軽やかになるよう力強く応援してくれていることを感じます。
ずっと、そうだった、だからこそ、今、こうしている。
「そうそう!ずいぶんがんばっているじゃない!その調子!もっと愉しんでいいんだよ!」
と言ってくれているような感覚をはっきり感じているようでした。
そして、自分の中で誤った信念を認め、真の信念を再確認して受け容れるワークをしました。
「自分は幸せになれない」という信念を「幸せを生きる」という真の信念に変容させ、その後、必要な幾つかのワークをして、最後にセッションの振り返りをします。
このセッションで何を再確認したのか、という部分は、「境界線を超えていく」ということの重要性、とそのタイミングが来ていること。
そして、これから行動化する領域は、
ズバリ「セックスしてください」
これは私ならではのアドヴァイスかもしれませんが(笑)
Yさん、真顔で「はい、わかります。」と。
自分を安売りするのではなく、人と肌を重ねる、心を重ねる、ということにジャンジャン向かっていってくださいということ。
遠慮しないで、踏み込んでいく。
深く触れ合っていくことを赦し、行動していく。
すごく大事です。
人を思いやれる人だからこそ。
そして、向かっていく方向は、流れに乗る。
どこか遠慮していたと思うんです。その流れを読む力はある、感じる能力もある。
「愚かであってください。賢くなりすぎないでください。
愚かさ、それはあなたにとって、とてもチャーミングになることと同じだから。」
思うように表現するだけ。
それが愛されることにダイレクトにつながる。
*ご本人の承諾を得て書かせていただきました。