魔女スクールが終わってから、10日が経ちました。
まず最初に思い出すのは、メンバー全員が同学年という学舎的なあたたかい雰囲気。
お昼休みも貪欲に学び、毎回あっという間に時間が過ぎていきました。
そして、よく思い出すのは、久美子先生が様々な例を演劇形式で説明してくださったこと。
いろんな人への久美子先生の深い思いが伝わってきました。
そこから、自分への許しにつながることが多かったです。
久美子先生の愛の劇場
また見たい!
またスクールで学びたい!!
私は、去年の7月にスピリチュアル心理学講座を学び、10月末から始まった魔女スクールに通いました。
本当にあっという間で、まだまだ自分の理解が追い付かず、魔女スクールの間にスピリチュアル心理学講座のテキストを見ていました。
日々の暮らしの中で学びが深まっていく体感が何度もあり、魔女スクールで学んだこともまた、これから自分ものにしていきたいと思っています。
この感想を書きながら、魔女スクール1回目に久美子先生に言われたことを思い出して泣きました。
強いよね、導かれ系だよね
そう言われたことを思い出し、自分で弱いと思うことを並べだし、私は導いてもらう価値はないとあれこれ考え、泣きました。
メール作成しながら、また泣き始めました。
今まで感じることのなかった思いに出会うようになり、いろんな感じ方をする自分にも出会い、自分への興味や愛情が出てきました。
自分、おもしろい。
そして、自分があんまりよくないことやってるなぁと感じるときは、久美子先生の愛の劇場で度々出てくる机をバシッと叩いてからの主人公へのツッコミを、自分にやってます。
どんな自分も愛しい存在
どんな思いにもしっかり付き合う
これからかな。
魔女スクールが進むうちに、自分で一番意外に思ったのは、体が主張してきたこと。
自分に目を向けるようになったからか、平気平気と済ませてきた思いや痛みが主張を始めたかな。
日々、体のあちこちが痛みます。
ずっと頑張ってきてくれた自分を、しっかり自分で癒していきます。
久美子先生のもと、あのメンバーで学べたこと、私の新たな宝物になりました。
ありがとうございます。
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昨年7月に出逢ったのだと思えないほどの濃厚な関わりをしたと振り返ります。
私がクラスを開講すると導かれるように集まるシンクロがわかりやすくたくさんあるのですが、
このクラスは、なんと全員同級生。
しかも、イニシャルにYが付く方が多い。HKYのみのバリエーションというのも興味深い。
7月のスピリチュアル心理学講座の終わりに
「私にも、感情がありました。」
と言っていたことがとても嬉しかった。
だって、溢れるほどの様々な現実を受け止めることに必死だったと思うし、ほとんど取りこぼしないほど、全身で受け止めていたのだもの。
こんなに受けとめて、しかも、まっすぐに。
よく壊れなかったな、と思ったもの。
涙出るほど、強くて、優しい神様みたいな人だなぁ、と思ったもの。
それくらい小さな身体で全部を受け止めてきた。
自分の感情を凍らせて仕舞っておかなければならないほどに。
感情がない、なんて言ってるんだけど、とびきり優しくて、相手のことを考えて行動してしまう成熟した人。
この地上でほとんど神様みたいに生きているけれど、もちろん感情がない訳じゃない。
いろんな想いや痛みをとじ込めて、現実を受け止めてきたその道々を思うと、まるで我がことのように涙が出てくる。
強さとは、弱さを受け容れることに他ならない。
解放する
開放する
どんな自分も愛する
醜い感情さえ、祝福なのだから
導かれ系の人は、自己責任の人。
例え、与えられたことでさえも受け容れる。
宿命を受け容れるからこそ、運命が動いていく。
等しく与えられている神の導きを受け取れるところにいるのだ。
自分の運命を受け容れているというのは、神の最も近いところで生きているということ。
いつも、いつも、同じ受講生の氣づきや発見を見守る笑顔が菩薩のよう。
そして、どんどん柔らかになっていってドジな自分のエピソードを語る笑顔が愛らしい。
私のクラスを愛の劇場と言ってくれたのも嬉しい。
インタビューに応じるといつも「久美子劇場ですね」と言われていたことを思い出す。
スピリチュアル心理学講座も、ましてや魔女スクールは、過去だけではなく魂的な氣づき、赦し、癒しまでも起こす。
短期間では終わらない。
クラスが終わってからの方が、いろんなことに氣づき、いろんなことが起こり、それに向きあって
更に理解が深まると思う。
果てしない癒しが起るよう 私は心と魂を動かす。
もちろん私の心と魂も。
共に。
久美子劇場は、生きている限り興行します。
また久美子劇場で会いましょう。