愛か、恐れか。
ということなんだけれど、恐れに基づいて、選んだって悪くない。
その時は、愛より、恐れの方が魅力的に見えているのだから。
ある人が、
「愛よりも、恐れの方に価値があるとしか、今は思えない。」
と、彼は、その時の自分に従い思いっきり暗闇に落ちていきました。
どん底のどん底に落ちて、落ちて、もうダメかと思うほど、自分を責めて地獄の日々を送り、孤独に浸りました。
そもそも、いろんなことがあった彼だけど、あれほど落ちたことはないと後日話してくれました。
それは、ダメな自分から、愛する人を護るような気持ちだったのではないかと私には見えました。
ダメじゃないけど、自分にはそうしか思えない時がありますね。
愛って、何でしょう。
愛が愛ではなくて、恐れの方が魅力に思えるって何?
その答えは、自分の中から湧き出てきます。
その答えが自分から溢れない限り、愛と恐れを天秤にかけても、恐れを選んじゃう。
当たり前だよね。
魅力的なのは、恐れの方なのだから。
恐れの方が価値があると感じるのだから。
いろんな場面に遭遇するのだけど、何か大きな節目で「魂に従うか」「悪魔に心を売るか」みたいなこと、誰もが経験することがあると思います。
でも、どちらにも正義があり、魂に従ったからといってそれがエライ訳じゃないし、
悪魔というのは、何のことを指しているのかということを思うと本当にケースバイケースです。
前述の彼は、その後、闇から抜け出し、愛を選びました。
愛を選んだというか、暗闇の中から愛を見つけたんです。
その瞬間に、過去が変わります。
過去に選んだ「恐れ」は、もはや恐れではなくなり、あれは「愛を選んだ先の行動だった」と、過去の景色も変わるんです。
見事に意味が変わる。
変えるんじゃない、変わってしまうんです。
無理矢理、アタマで、理屈で、ポジティブになろうとして、自分をどうにかしようとして自分をダマしますけど、
そんなにがんばって自分を洗脳しなくていいんですよ〜。
自分とのズレの大きくなっていくだけだから。
難しいことじゃないんです。もっと、シンプルなこと。
自分の人生に起ったことを受け止めることだけなんです。結局は。
それがその時は絶望だったりもします。
それを受け止めることで次が生まれます。
「今」の自分がどれだけ大事なのかということを見せてくれた彼は、それからも「愛」をどんどん見つけていきました。
恐ろしいことに(笑)「愛」を見つけ始めると、外側でどんなことがあっても、愛がどんどん見つかり続ける。
可哀想な自分なんて、どこにも居なくなってしまうという現実が次々と創造されます。
一回見つけて、「わかった〜」終わり。
じゃない世界。
どこまでも続く永遠の世界は、愛のすごさをどんどん見せてくれる。
「そんなイイことばかり続かない」なんて言葉の無力さを感じます。
イイことだけがイイ、じゃなくて、どんなことがあっても、素晴らしい側面があることが見えてしまうから、
いわゆるイイことだけを求めなくなる。
だって、どんなことも素晴らしい側面をもった現象だとしたら、イイことだけを求めるでしょうか。
いろんなことが起って、自分がどう感じて、どう生きるのか、それにワクワクするでしょう。
何を選んでも、いい。
どっちでもいい。
だからこそ、自分の中での「ズレ」を感じていたい。
100人中自分以外の全員がNOと言っても、自分の心がYESならYESなんですよ。
その訳は、すぐにはわからないかもしれない。
どんなに上手くいかないことが続いたとしても、自分の中でYESだったら、結局その結果は、結局愛になって返ってきます。
自分さえ裏切らなければ、人生は味方してくれる。
私のクライアントさんは、その辺、自分センサーが鋭い人が多い。
自分はYESだけど。。。という方が多い。
それって本当に凄いことだと感じます。
でも、それ故の葛藤がありますね。
それがご本人にとってYESなら私も「すごいね!それでいい!」と言います。
それで、確信を強くする人もいらっしゃるけど、
なんとなく「ダメだしして欲しい」、「諦めるための何かを言って欲しい」、という様子も垣間みます。
そうすれば楽になれるような氣もするのも、わかるような氣がします。
でもその人の中でズレていなければ、それが何よりなんです。
結局のところ、自分の声が聴こえているクライアントさんが多いので、滅多に「やめなさい」「諦めなさい」というようなことは言う機会がほとんどありません。
でも、ズレている人には、セッションでははっきり言いますよ。
どこかで苦しくなってしまいますからね。
その苦しさもその人が選んだこととは言え、セッションに来るということは、自分の中の愛が何か訴えているわけで、本人はそれを無視していても、私が見逃したら私がセッションする意味がありませんからね。
それでも私も悩むときがあります。
「自分の中の愛を完全に見失いたい」という声が強い時です。
自分の中に愛がないと信じることが生き甲斐になってしまっている時。
本当の意味で絶望したくないから、愛がないと信じたい、というような時。
その時の私は、本当にケースバイケース。決まった答えはありません。
その大きなズレに遭遇するとき、もはや何を言うかよりも、祈りしかなくなる。
その辛さを、ご本人はもはや感じなくなっているケースが多いのです。
でも、そこから戻って来る人もいるんです。
愛を見つけちゃう。
そうすると本来の愛が溢れ、愛が生き甲斐になり、愛がエネルギーになっていくんです。
言葉はシンボル。
最終的にはもう人を信じて祈るだけです。
常々そう思います。
だって、どっちでもいいのだもの。
人間はこんなにも自由意志がある存在なのだから。