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運命を変化を与えること

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私は、幼少の頃から「命」をすぐそばに感じていました。

「命」は、「生」と「死」。

初めての子である私の兄を亡くした両親の元に生まれてきたこともあるのでしょう。

そして、私にとって大きかったのは、母がボランティアをしていた老人ホームでの出来事。

初めて行ったのは、8歳の時でした。

キリスト教系の特別養護老人ホーム。

死を待つだけの、あの目は、私に衝撃を与えました。

絶望というより、受け容れている人ばかりだったのにも関わらず

8歳の私はものすごいショックを受けました。

 

ここは。。。

 

 

 

 

 

ところが、私が近づいていくと、パッと灯りが点いたように目に光が戻り

しわくちゃの手を差し出してくれたんです。

私が手を握ると、涙して喜んでくれました。

母が、お年寄りの爪を切っている間、私は、おばあさんの話を聴いていました。

昔の話。

若かりし頃の幸せな話、苦労した話。

その話は、私にとってまるで物語を読み聞かせてもらっているかのように愉しかった。

話しながら、笑ったり、泣いたりしているおばあさん。

 

もうお話もできないお年寄りもいらっしゃいました。

流動食のようなものを飲み込むのも大変。

私もお手伝いさせてもらいましたが、今考えると、8歳の小学生に食事を任せてくれるなんてすごい。

スプーンで少しずつ、食べてもらうのですが、なかなか難しい。

途中で、むせてしまったりするし、吐きそうになったり。

おっかなびっくり、でも、老いていくということの現実と残酷さみたいなものを

恐る恐る私なりに受け容れていく時間になりました。

病院や老人ホームって、ゲロとか、おしっことか、うんちとか、そういう人間の当たり前の排出が、すごく大事だったりする。

その状態で、健康状態がわかるから。

人間の基本的な営みをモロに扱う場所。

しかも、ものすごくコアなケアですよ。

家族でもそこまでするかな?というところも委ねていけるところ。

すごいな、って思った。

でも、まだ幼い私には、ショックな訳です。

 

それでも、何度も足を運ぶうちに、そういうものだ、自分もまた同じなんだ

と思えるようになるから、私も貪欲だよね。

 

顔を覚えてもらえて、待っててくれる人たちも増えてくると

私も嬉しくて、母によくついて通いました。

昔話を聴くのが、すごく愉しくて、何度も同じ話でも、毎回、笑って、泣ける。

ああ、こういう話、もっとみんなに聴いて欲しいな。

すごい時代を生きてきたんだな。

 

私は、この時に学んだことを、中学1年の時に弁論で発表し、

学年1位になって、外部の大会にまで出場し、入賞しました。

とにかく目立たないようにしていたので、私が突然、イキイキと情感豊かに表現している姿が

すごく衝撃的だったのかもしれません。

本当に静かな私でしたから。

それがきっかけで、大人しい私から、突然、先生や同級生が私に注目し

リーダー的な役割や何かを発表するときは「久美子」みたいな感じになったのも

お年寄りたちからのプレゼントだと思っています。

 

 

なぜこの話を思い出したかというと、これから本番なんですけど。

 

 

この仕事を始めてから、様々なご依頼を受けるようになったのですが

友人の大切な方がご病気になり、ヒーリングを依頼されました。

その方は、アメリカ人で生涯国家機密に関わってきた重鎮でした。

もうリタイアされましたが、人望熱く、ご家族も健康を願っておられるということで

その当時、できる限りのことをしようとヒーリングを始めようとしましたら、

ご本人の意識が私に話しかけてきたんです。

 

「いいんだよ。しなくていいんだよ。」

 

とおっしゃるんです。

「私の私なりの人生の選択なんだよ。

だから、何もしなくていいんだよ。

これでいいんだ。」

 

と優しくおっしゃったんです。

そして、私に彼の今までの歴史を見せてくれました。

家族に、目的地も告げることもできない、何の職についているのかも言えずに

突然何ヶ月も留守にすることがあったんだと。

家族には、苦労をかけてきたけれど、自分を信じて理解してくれたと。

本当にいろんなことがあって、いろんな想いがあって、

「この病気は、懺悔ではないけれど、

病気であることで家族との関係を深く感じることができるんだ。

また違った意味で迷惑をかけてしまうけれど、

妻は、そういうことを厭わないステキな女性なんだよ。

私は幸せだ。」

と。

 

なんだか胸が熱くなり、満たされて、「病」ではあるけれど、

それは悪いことではなく、それも人生としている姿を見せてもらいました。

 

別な意味で「しないで!」という経験もしました。

「私から病気をとらないで」

 

私は、その理由がどんなにポジティブでも、ネガティブに見えても

ご本人の声に従うことにしています。

 

また「受け容れます。お願いします」と言われても

運命に逆らえないこともあると経験しました。

すべて意識の中でのコンタクトです。

 

そんなことをたくさん経験できたので

周りの愛する人々が、どんなに願っても、本人の意志は覆せない

覆すものではないんだ、と学びました。

それは、どんなに悲しく、寂しいことであっても。

 

 

ところが、あるご依頼があり、意識の無くなった家族をどうか助けて欲しいと依頼があり

できることを

と思い、ご本人と意識のコンタクトをとりました。

すると

「私の人生はこれで終わることにしました。満足です。」

とおっしゃるのですが、

「でも、あなたの好意は受け容れます。どうぞお願いします。

それは愛する息子の願いだから。」

とおっしゃって、受け容れてくれました。

その後、その方は、意識を取り戻し、今でもお元気です。

「自分としては、満足で帰ろうと思ったけれど

息子の願いを聞きたい、と思ったんだ。」

とおっしゃった。

 

運命を変えたんだ。

もちろん、その方の意志で。

そんなこともあるんだな。

 

運命は他の人は変えられないけれど、

「こうしたい!」という意志に対して影響を与えることはできるんだ。

 

という重要な経験になりました。

どんなに家族が懇願しようとも、ほとんどの場合、覆しませんでしたから。

それは、強い愛に基づいているものだからです。

 

 

自分の意志は、誰かに影響を与えることもある。

意志は、愛だから。

 

 

意志が、すべてを生み出す。

愛が、すべてを生み出すように。

愛は、意志。

意志が、愛。

 

 

 

 

そんなことを考えていたら、8歳の時の記憶が蘇り、

あの時のおばあさまたちが

「あなたに出会えたから、もっと生きたい。

また会いたい、と思ったのよ。

あなたは私の最期の時を変えてくれたの。」

という声が聴こえました。

 

 

そういう小さなことなんだ。

 

そういうシンプルなことなんだ。

 

人の運命に影響を与えるということは。

 

 

自分で在ること。

 

 

それが人を動かすことがある。

 

運命さえ動かすきっかけになるんだな。

 

 

 

なんか、とてもステキだな。

 

 

 

やっぱり共に生きている。

 

 

共に生きるとは、自分を生きること。

 

お互いに影響を与えあい、愉しむ。

 

 

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