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スペシャリティーは、特質、特技、特性、特異性など、際立った特徴です。

もう既に備わっている、もう既に在るもの。

その人にしかないスペシャリティは、それぞれ違いますが

スペシャリティーがない人は存在しません。

 

特別意識は、「すごい人と思われたい」「自分だけが特別扱いされたい」という意識です。

承認欲求の拡大版みたいなもの。

誰もが特別意識は、ある程度あるものですが、

劣等感、自信の無さ、無価値観、見捨てられ恐怖が

特別意識を大きくします。

特別意識は、子どもの頃には自然に表現するものの、

成長すると、なんとなく卑しい感じがして抑制が働きます。

誰が見ても「すごい」「ステキ」と思われるような現実を作ろうとします。

がんばって勉強したり、特技を磨いたり、すごいと思われる人の真似をしてみたり

逆に、反対のことをしてみたりします。

 

特別意識を満足させるために頑張るのは、思わぬ副産物が必ずあるので

自分が思う「特別感をまとう」努力は本気でやることは大いに賛成です。

 

それは、自分の自信のなさ、劣等感、無価値観などを埋めるための努力なのですが

それを埋めようとすることはムダではないけれど

自信のなさや劣等感、無価値観は埋まらないのだという深い氣づきが待っています。

 

スピリチュアルな能力を身につけることで特別感を満たしたいという方もいるでしょう。

スピリチュアルな能力も、ひとつの才能・技術ではありますが

もちろん全能ではなく、才能・能力があることと

どのような貢献ができ、どんな人格であるかは、まったく別なことです。

それは他の才能でもそうでしょう。

物理の天才が、素晴らしい人格を持っていれば、

地球に素晴らしいテクノロジーをもたらすことに貢献するでしょう。

同じがそれ以上に才能があっても、特別意識が強ければ、それを満たすようなこと、

例えば、すごいと思われたくて、特別扱いされたくて、人を支配することにその才能・技術を使うでしょう。

 

能力者は、その能力を何に使っていくかがとても大事なのです。

 

だからこそ、自分自身のスペシャリティを認識し、愛することは

自分自身のためであり、たくさんの共に生きる人々のためにもなっていく。

 

特別意識を満たそうとして、得られる副産物には

自分自身のスペシャリティに氣づく

ということもあります。

 

自分以外の何者になろうとしなくていい

私は私でいいんだ

 

と思えたら、持っているスペシャリティは、自分と他者を豊かにするでしょう。

 

スピリチュアルな能力は、目に見えない領域を扱うという性質上もあって

人の心をコントロールしたり、自分の特別意識を満たすために使われた歴史があります。

その能力を恐れられ、高い意識を持っている能力者が迫害に遭うということも繰り返されてきました。

 

もう、そのどちらも時代遅れ。

 

人をコントロールするために使っていると

それを突きつけられるようなことが起こります。

自分にすぐに返ってくる。

 

一方、迫害された記憶があり、封印してきた人のそれは

解かれてきています。

真実が見える世になってきていることの現れです。

 

 

特別意識は、自分の一番大好きな人、たったひとりでもいいから満たしてもらえば充分です。

その一番大好きな人は、パートナーでもいいですし、

「自分」でもいいのです。

 

 

自分自身のスペシャリティを愛する。

 

 

如何に自分が素晴らしい存在なのか

 

 

それを感じることが、

自分のスペシャリティを生かし

この地球に生まれた目的を果たしていくために重要な要素になります。

 

その目的とは、とても身近にあり、自分が幸せを感じる領域と無関係なはずはないのです♡

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