2007年6月末で夫が退職し、翌月にセドナに行った。
メディスンマンと共に、聖地をめぐったり、儀式をしたりする旅。
ニューメキシコ州への鮮烈な旅の翌年のこと。
セドナの旅は、もう〜〜〜、怒り心頭でした。
セドナは悪くない。
セドナは何にも悪くない。
冷静に考えて、私がこんなに怒るなんて。
自分で言うのもなんだけど、今までの私の人生でそこまで怒るなんて滅多にない。
だからこそ、よっぽど大事な旅行だったのだと思う。
いつまでも、引きずってました(笑)
セドナは、よかった!
間違いなくセドナはいい!
モニュメントバレーや聖地も巡って、
ホピ族の預言で有名な場所へも、ホピ族の方に直々に案内してもらったり、
いい経験も、いっぱいさせてもらえた。
自然は、もの言わぬけれど、強烈なメッセージもいっぱい受け取った。
ネイティブアメリカンのメディスンマンと行動を共にし
たくさんのワークや生まれ変わりの儀式である「スウェットロッジ」も体験。
でも、人種を超えて、ああ〜、と思うこともあって、何度もあって。
「ザ・聖地」に来て
モロに人間の弱さと我欲を見せつけられたのも
意味があるんだろうと、今だから、思うけど。
人に迷惑かけない、とか、
仕事としてやる以上、とか、
私は、自分にも人にも厳しいんだな。
ということは、自分に対して、人に迷惑をかけてはいけない、とか、
プロとしての在り方というのも、めっちゃ、厳しいのだと思う。
ま、私が仕事に厳しい以前に、これが普通のツアーだったら(っていうかツアーなんだけど)大クレームの嵐みたいな旅だったのですが(笑)
凄まじいエピソードがいっぱいある旅だった。マジで。
わかりやすく、そういうことがあったということは、
私が氣づくべき、何かがあったのだと思う。
しかも、すごく大切な何かに。
メディスンマンに
「この旅のために、エネルギーを保持しててくれてありがとう。
あなたたちご夫婦がいなかったら、とんでもないことになっていた。」
と、帰り際に、そっとお礼を言われた。
だって、せっかくの人生を変える旅に来ているんだもの。
この旅で、できるだけ、たくさんのことを持ち帰れるようにと思ったもの。
一緒に同行した人たちだって、そうして欲しかったから、
自分のことだけじゃなくて、領域を超えたことをしてしまったかな、とも思ったけど。
自分たちのために、ということでもあったから、よしとする。
私たちはセドナを発ち、ロスでトランジットして予定どおり、そのまま日本へ帰国した。
ほかの皆さんは予めロスで一泊することになっていて、私たちが居なくなった後は、ものすごいカオスだったと。
当の本人が言ってた。
そりゃそうでしょ
と、帰国しても、数ヶ月しても、もう10年以上経った今も、
思い出すと、なんだか後味が悪いのでした。
人間の弱さと欲。
聖地に来ても、どんな立場の人も、人間なんだなぁ〜。
そして、この旅で、大切なメッセージをもらったのだけれど、
なんだか素直に受け容れきれないものもあった。
その分、長い時間を経て、その深い意味を知ることになる。
もっとシンプルであれ!
もっと自分の素晴らしさ、ユニークネスに祝福を!
自分のスペシャリティーを愛しなさい!
ずいぶんシンプルになったと思っていた。
ずいぶん自分の素晴らしさ、自分らしさを認めてきたと思っていた。
自分のスペシャリティーも愛せるようになってきたと思っていた。
使命の裏にある、個人的なプライベートな領域。
根底であり、土台が如何に人間にとって重要なのか。
それを思い知らされた旅となった。
起った出来事にまったく関係なく、たくさんのスピリットが
繰り返し、繰り返し、私に伝えていたこと。
あなたには、もう既に大きなギフトがある。
という意味を私はそのとき、まだよく理解できていなかったのだ。
自分にとって当たり前にできることの価値を。