アチューメントのセッションは、2ヶ月限定で行い、その後は、やらなかった。
2ヶ月限定として始めたのは、アチューメントの伝授を受けた時に
「あなたは単なるアチューメント屋さんではない。」
と言っていただいたこともあって、素直な(?笑)私は、なんだかそんな氣がして、
直観で「2ヶ月」と決め、きっとそこには私なりの意味があるんだろうと思っていた。
果たして、何かのスイッチが入った。
その後、普通にカウンセリングを行っていると様々な情報が、届くようになった。
クライアントの亡くなったご家族が出て来て
伝えて欲しいことを、私に言ってくるのです。
最初は、話の流れから、なかなか言い出しづらかった。
だって、そんな話しの流れではなかったのだもの。
クライアントさんが、自分のパニック発作の話をしている最中に、突然、
「ごめんなさい、ちょっといいですか?
あのね、あなたの亡くなった父方のおばあさんがね、
こう言っています。」
なんて言ったら、おかしな人だと思われるんじゃないかとかね。
生きている方の情報でも、クライアントさんの症状や悩みにダイレクトに関係する情報が来るんです。
本人が申告していないのに、兄弟の障がい、自分を出産した時の母親のダメージ、うつ状態とか、
まるで
「私のせいで娘はこんなに苦しんでいるんだけど、苦しまなくていい。」
というようなことを伝えてくるんですよ。
でも、もうどうしようもなく、むずむずして言わずには居られなくなったり、
その伝えてくれている人の障がいの部分が私の身体の部位として痛んだり、
(もう言います!)
と覚悟して、言うと、スッと楽になるんですよ。
「話の途中で、ごめんなさいね。
あなたの○○さんが、もう苦しまないでと言ってるんです。」
すると、話が症状や悩みから
いきなり本丸へ進んだりするから
私も驚いた。
もう解放していい
というタイミングで起こることなんだと理解してからは、あまり考えずにお伝えすることに躊躇いはなくなっていった。
必要なことしか出て来ないのだからと、どんどん意識せずに伝えていくようになり
やがて、私が何を言ったのか、私自身の記憶に残っていないこともしばしば。
初めてのクライアントさんに
「まず、あなたのハイヤーセルフに(今日の進め方を)お聞きしますので
少しお待ち下さい。」
なんて言って、突然、カウンセラーが手を合わせ、目を閉じたりしたら、「帰ろうかな」と思いますよね(笑)
私がそんなことをしていたことを、かなり後にクライアントさんに聞いて、ビックリ!!!
「まさか、そんなスタートある?!」
と、自分に突っ込んでしまった。アヤしいにもほどがある。
でも、記憶にないのだから、どうしようもない。しかも、それはいつもではなく、突発的に起る。
私の記憶がなくても、クライアントさんたちは、必要なことを受け取り、氣づいていく。
私がカウンセラーとして「何かをやる」というより、
私は、そこに「いる」。
リーディングなど、一見、Doing的なセッションの側面があるのに
私は、どんどん、Being的な在り方になっていった。
クライアントさんと取り巻くすべてを信じることが、より楽になっていった。