東日本大震災は、私にとってだけではなく大きな影響を世界的に起こした。
千年に一度という災害に、とにかく「今ここ」を強烈に意識させられた。
財布の中にお金があっても使えない。
お店に品物がないから。
工場も、物流も止まった。
高速道路も、新幹線も、空港も大きな被害があり、使えない。
何が大変かと言うと、水が出ないことが何より大変だった。
幸運なことに会社が市役所のすぐ側で、電気などの復旧が他の地域より早めだった。
水道も、一週間以内に通ったのに、マンションの貯水槽が破損したために使えず。
それでも歩いて2、3分の市民広場の水道からは水が汲めた。
明らかに恵まれた環境にいた。
しかも、どこからか、誰からか、物資が届き、空腹でどうしようもないということがなかった。
水道も、ガスも、電気も来ないどころか、自宅を津波に飲まれていった人たちもいる。
大切な人を失った人も、どれだけいたことか。
津波被害があった場所からわずか10キロ足らずの場所で、それはもういろんな想いになった。
あの当時、心理カウンセラーとして、様々なメディアから取材を受けた。
国営放送、全国紙などマスメディア。
東京から取材に来た人たちは、心理カウンセリングや私たちのしていること話を聴いてくださって、そのうちにご自身の話になって、涙して、震災時に明らかになったいろんな話をしてくれた。
報道されない様々なこと、現場の想い、個人としての想い。
そして、揃って皆様が同じことをおっしゃった。
「ここは聖地のような場所。放送(掲載)しない方がいい。
私の力ではここを守れない。
一気に人が押し寄せたら、必要な人が来れなくなっては申し訳ない。」
確かに。
不安が高まっている中、大勢が来ても、受け容れきれない。
なんだかんだ言っても、私たちも被災者だった。
長い目で、無理せず、できることをと、自分に何度言い聞かせただろう。
私たちの力でマスメディアとつながったのではなく、クライアントさんたちや受講生さんたち、卒業生たちが、メディアとのつながりがあって、紹介してくれたのでした。
まだまだ自分の力不足でした。せっかくご紹介してくれたのに。
「こんな時だけど、でも、こんな時だからこそ、やっと本物の出番ですよ!」と言ってくれたのに申し訳なかったな。
全国に伝えて欲しい出来事はいっぱいあったな、と今は思うけど!
後で、各取材をしに来てくださった方から、丁寧なお手紙を頂戴したりして、少しでもお役にたてたら嬉しいなと思っていました。
それにしても、クライアントさんたち、受講生さん、卒業生さんの活躍たるやすごかったです。
被災者なのにね。
今、自分にできることは、何だろう?
それぞれの立場で、最大限貢献できることは、何だろう。
私も自問自答した。
できることをできるだけ。
それ以上もそれ以下もなかった。
あの状況の中で。
震災時に一番力になったのは、人の力。
命も、心にも、人の思い、力は、最大だった。
友人に、親戚に、遠くの誰かに。
どれだけ助けられただろう。
私は津波の被害は受けていないけれど、ファミリーみたいな関係者の中には、津波に飲まれそうになって一命をとりとめた人たちもいる。
家を流れされた人も、職場を失ったことも、大切な人を亡くした人も。。。
命があったということは、神様に感謝!!!!だったけど、
あの光景のすべてを見ていたんだと思うと、その明暗を目撃して生き残ったことを思うと胸が痛む。
それでも、生きてて、ありがとう!!!!!
と、何度、思っただろう。
祈った、祈った、すごく祈った。
だって、地元だから沿岸部にもたくさんの友人、知人、クライアントさんたちがいるのだから。
全国放送、全国紙には放送、掲載がなかったけれど、
地元紙「河北新報」様に大きくメッセージを届けることができました。
震災の心のケアがいろんなところで問題になる中、
とても反響が大きかったとご報告いただきました。
あれから7年。
震災がきっかけで、仙台から東京、名古屋、札幌、福岡と、活動が幅広くなったのも、人のおかげ。縁のおかげでした。
人のおかげで、ご縁のおかげで、まさに生かされた。
大変なこともたくさんあったけど、それ以上にはるかに多くの希望を与えられたと。
これからも、私の伝えられることを、必要としている多くの人にお届けできるよう精進します。