振り回されるとは

他人の言葉に振り回されるのではない。

自分への言葉

自分が考えていること

自分が感じていること

他者から言われたこと

他者から感じること

すべては自分が選別・採用していることである。

 

聴きたいように聴いている。

ということに他ならない。

 

採用するか、しないか。

様々な意見、見方があるが、自分の都合のいいように解釈しているに過ぎない。

それがどんないいことであれ、そうでないことも含めて。

 

それらを自分が採用しているのだと受け止めれば、

 

人のひとのせいにしないで済む=自分の人生を生きられる

 

人に振り回されるというのは、人のせいにしているに過ぎない。

 

自分の声をはっきり聴こえるなら、それに従えば爽快に生きられるし、

そうできないなら、誰かの言葉であっても、自分に生きることを取り入れ、

自分が望まないことは切り捨てればいい。

振り回されているのではなく、誰かのせいにしたいのだな、と受け容れること。

誰も、自由を妨げることはできないのだから。

自分という神、以外は。

 

自分がそうしているのだ。

自分が自分の人生をこう創造したのだ。

 

そこから始めればいい。

いついかなる瞬間も新しい。

 

過去が今を不自由にすることはできないのだから。

 

自由を恐れる事なかれ。

 

自由な世界に飛び込んだら。

その創造の喜びに大いなる奇跡と信頼に畏怖すら感じるだろう。

誰に感謝したらよいか、わからなくなるほどの想いがこみ上げる。

 

それは、すぐ近くに在る。

 

 

 

 

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