強い光は刺激。
それは栄光、注目、賞賛も。
松任谷由実さんがいつかのラジオで言っていた。
「私はこういう仕事をしているから、強い光を浴びている。
スポットライトなど物理的にも、精神的にもね。
それが刺激だから、癒しを意識して自分をケアしています。」
光は刺激。
それが素晴らしい光であっても、刺激。
刺激は、それ自体が良い働きをすることがある。
人は刺激を求めるものなのかもしれない。
強い光に憧れ、求める。
ストローク(人との交流)と刺激は似ているのかもしれない。
関わりがあると、安心したり、満足するけれど、
多過ぎるとそれ自体がストレスになったり、悩みになったりする。
刺激は、摩擦も起こり、良い刺激はその刺激により、自分が磨かれる感覚があるものだ。
強い光を浴びている人こそ、影の時間が大事だったりする。
だって、人間だもの。
それがどんなによいことであっても、疲弊することもある。
真面目で努力家な人ほど、自分に優しくする時間、自分をさらけ出す時間、無防備な時間が
とても大事だったりする。
それは、一部の栄光を知っている人だけのものではないと思う。
誰もが、光を浴びずにはいられないし、影の時間もある。
影に隠れすぎて、光を浴びないと弱ってしまうこともある。
どっちがいい、悪いではなくて、過剰になっている、もしくは足りなくなっていることに
気づける自分でありたいものだが、自分のことはわかりづらい。
だからこそ、誰かになんてことないと思っていることを話すことは大切なことだと思っている。
「そんな大した悩みじゃないんですけどね。。。」
クライアントさんの多くの人が、まず始めに言う言葉の代表格。
悩みの大きさなんて、誰もわからない。
人と比べるものではない。
「幸せになってしまった」「成功してしまった」ことさえ、強い罪悪感や恐怖を覚えたりする。
何が幸せなのか、わからなくなる
自分が誰なのか、なんのために生きているのか
そんなことがわからなくなり、考えたくもなくなる
わからなくてもいい
いいんだ
いいんだ
そんな気持ちになれたら、今日も生きようと思えるのかもしれない。
いっぱいじゃなくてもいい。
何か一つ、あれば人は生きていける。
いっぱいだと疲れるのよ
いいようだけど、いっぱいあるというのは大変なのよ
何かひとつだけ
そんな気持ちで生きていこうと思う。
自分にできることが何かひとつだけ