恐怖を持っていない人などいない。恐怖感が悪い訳じゃなくて、機能のためにあるのだから。
自分の中にいろんな自分がいて、危機管理をしている自分がいるのは、有り難いことなのだ。
危機管理が過ぎると、不自由なことが増えるのと、常に恐怖側にチャンネルが固定してしまいがちになる。
何か怖いことはないか?!
アホみたいに楽観的に生きることもないけれど、自分の中のバランスが大事。
私はどちらかというと、意外かもしれないけれど、危機管理得意です。
だから長男が生まれて、全てを信じてお花畑で生きているような姿を見て、怒りが湧いた。怒りって可笑しいけれど、「そんなんじゃ、死んじゃうよ!!!!」って思ったんだよね。
赤ちゃんだからお花畑じゃなくて、その人のパーソナリティというか、持って生まれたものなのだ。
彼は、30代になり、所帯を持ち、子どもも三人居るが、基本的に変わらない。もちろん、揉まれて、いろんな経験をして彼なりに洗練された部分はあるけれど、アホみたいに人を信じるし、基本お花畑(失礼!息子よ!)。
この世は、いろんな人がいて、そんな長男を傷つける人もいれば、助けてくれる人もいる。そして、いつでも、後者が圧倒的に多いのだ。そんな私から見たらハラハラの息子は、私に、
「もっとこの世を信じてもいいんじゃない?」
と教えてくれているようだ。危機管理を重要視してきた私には、息子を理解することが修行のようだった。
「そんなんじゃ、生きていけない」
酷い思いばかりするのではないかという私の切ない親心と私自身の怖れの問題だったのだ。
その当の息子を妊娠した時、私は今までの自分ではあり得ない決断を幾つもし、自分の価値観も否応なく、じゃんじゃん変えた。人がどう思うだの、何だの、どーでもいいことに如何にエネルギーを注いでいたのか、思い知った。
「いい子でいなければならない」みたいなのを私自身の中では、とてもポジティブにぶちこわして、清々しかったのに、周囲の反応は思った以上に悪く、批判の雨霰。落ち込んだ。何も悪いことをしてないのに。だけど、思ったより悪い反応があったことが、結果としてよかった。私が従ってきた「こうあるべき」というものの偏りを、私自身が実感できた。何を天秤にかけて、何を基準にしていたのだろうと思った。四面楚歌みたいな状況で、その時も変わらずに居てくれた人たちの愛情が痛いほどわかった。夫はもちろんのこと、でも、それも今考えるとすごいこと。あの時、彼は、私を最も大切にしてくれた。否、「あの時から」だ。
想定以上の悪い状況になったときに、救ってくれようとしてくれる人が、例え、少なくても、たったひとりでも、そこに信頼を寄せることができた私を今は褒めたい。ほとんどが酷く中で、ほんの少しの安心を受け取ることの大切さ。受け取れば、そのほんの少しの安心は、どんどん大きくなっていくのだ。蘇ってくる酷いことより、怯えている私に何を見せて、どう生きるかは、その後の安心感にも繋がる。
いい子じゃないと、生きている資格がない
と思っていた。「いい子って、何?」という疑問も振り切って。ひたすらいい子でいようとした私を信頼した。自分だけは私自身を守ってくれると。それが私をずっと守ってきた。自分を自分であたためてきた。それはそれで、私の人生をしっかり支えてくれた。でも、自分の凝り固まった信念をぶちこわしたら、いろんな人が私をあたためてくれた。違う。今までもそうだったことに気づけたのだ。わかりやすい時もあるけれど、とても難解なこともあった。難解であったとしても、今までだってそうだったんだ。その衝撃は、私の人生をひっくり返した。ひとつの氣づきは、どんどん連鎖する。一回気づけば終わりじゃない。もっともっと、勝手に、まるでドミノのように氣づき続けていく。そして、今も。こうなって、ああなって、これでも、私はあたためられるのだということが、嬉しいはずなのに、恐ろしくもなる。両手を広げてウェルカム!なんてハジケる感じじゃない。こんなことが私に起こるの?!(←嬉しい驚きバージョン)と、いちいち驚くのだ。未だに。そして、感激して受ける。
いろんな恐怖を感じる私たちは、もう一度信頼を学び、安心感を取り戻すことが本当に大切なのだと私は思う。
何かを選択するときに
何かビジョンを描く時に
本当の意味で、ニュートラルに、そして謙虚で居られるように。