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夫は、私と一緒にやっていくと決めてるちょっと前から、様々な学びをした。
心理学講座、カウンセラー養成講座などは、私から習い、その他のエネルギーワークやスピリチャルな学びも同時進行で学び、退職する頃までには、ひととおり自分がやるべきことはインプットしていた。
それに加え、カウンセリングで氣づきを得て、ドアを出ると、その氣づきはどこへやら、現実へ引き戻される人々を見ていて、「何かこの氣づきにアンカーできるものはないか」と模索していた。

安易なグッズじゃ、味気ない。
いろいろ考えた結果、当時、インディアンジュエリーを販売していた妹分の影響もあり、
「アクセサリーは、すごくいいかも!」と思い、彼はアクセサリーを製作しようと、習いに行っていた。
彫金までたどり着くのに時間がかかりそうだと、途中でやめたのだけれど、会社設立の定款目的に
「アクセサリーの製造、販売」を明記した。
まさかそれが、ずっとずっと後になってから生きてくることになろうとは、思っても見なかった。
しかも、ジェム(宝石)を扱うなんて。
更に、氣づきをアンカーするどころか、その共鳴により、リーディングはもちろんのこと、後々まで、エネルギーワーク、メッセンジャー、道しるべのような役割りを果たすものを扱うようになるなんて。

彼の多才さを知っていた私は、ふたりでやればどんな展開になるだろうと、ワクワクしていた。
女性専門のカウンセリングルームから男性にも来ていただけるようにした。
今までの私だけの小さなカウンセリングルームが、どんな風に拡大していくだろう。

ところが、私があまりにも順調に拡大してきたこともあり、
思うように広がっていかないことに、あれ?どうしたことか?と思ってしまった。
私が考えて(思考で)やることに、ほとんどいいことはない(爆)
でも、考えてしまった。
「ふたりでやっていくには、どんなバランスでやればいいか?」
「このFAITHをどう新しく更にステキな場所にするには?」

私が私らしくやればいい

それはそうだけれど、
と、考えてしまった。
でも、
と。

そして、私は必要以上に私の存在が強すぎるのではないかと思ってしまった。
私が始めたことで私を好きで来てくれた人たちで盛り上がってきたのだから、当然なのだけれど、
これはなんとかして、彼を盛り上げよう!と、まずは任せて、経験を積んでもらうのが1番!
と、私は徐々に現場からフェードアウトしていくことになる。
もっと長い目で、経営状況を見て、しかるべきタイミングをはかればいいのに、私は思い立ったが吉日!徹底的に?極端に推し進める。
まずは心理学講座から講師は、すべて彼に任せた。
カウンセラー養成講座も、私は、2009年3月までのクラスを最後に、すべてを彼に託した。

私がいなければ、きっと伸び伸びできるのかもしれない!

なんて、私がひとりで海外に出掛けていくこともあった。
そして、ついに新規のクライアントさんは、彼と登録セラピストたちに任せ、既存のクライアントの予約は受けるものの、私は第一線から離れることに。
「カウンセリング 仙台」と検索すれば、1番に出てくることもあり、新規のクライアントさんにも恵まれていた。この機会をぜひとも、セラピストたちの経験につなげて欲しいという私の願い。だって、実践ほど、カウンセリングの質をあげてくれるものはない。私はそういう意味でとても恵まれていて、開業からたくさんの実践に恵まれた。その恵みを、宝を、大切な夫やセラピストたちに分かち合いたいという気持ちが強く、それこそが、カウンセリングのレベルを上質なものにし、カウンセリングという世界を結果として広げることになるのではないか、と信じていた。
だって、セラピストたちは、みな、元はクライアントたち。自分の悩みを何度も越えてきた、実力派たち。

私なりに創り上げ、育ててきた場所で、みんなが活躍してくれるのを見るのは、すごく嬉しかった。その反面、経営はすごく大変になった。自分が歩んで来た道が、なんてラッキーだったのかと思い知らされた。私の中では、自分が優れていたからなんて思わずに、ただただ自分はタイミングに恵まれたのだと。きっと、それもそうだと思う。だけど、きっと私の好きなことに対するエネルギーの爆発がそうさせた部分もあったのだと思う。

みんな同じじゃない。

そんなことわかっているはずなのに、

私だからできた、みたいなのは、受け容れたくなかった。

それが、ムダに大変な時期を長引かせてきた一因でもあったかもしれない。だけど、船はもう航海を始めている。私自身を生かすことよりも、まず夫を生かしたいという想いは変わらなかった。私は私なりの想いだけど、彼にすれば、それが苦しかったろうと思う。いっそ別々に歩んだ方がいいのだろうかと思った時がある。そんな話も度々した。私の彼への信頼や期待が、彼の苦しみになってはいないだろうかと。でも、私には確信みたいなものがあり、彼には彼の本領を発揮できる世界がある、それを見つけるまで私にできることは何でもしたいと思い、それを私なりに実行した。本当に大変だった。事務所の経費もある、自宅のローンもある、子どもたちの教育費もある。新しい学びやブラッシュアップ、様々な経験も、必要で、やりたいことはできる限りしたい。そして、もう何がどうなってできたのか、まさに自転車操業で何年も続き、結婚当初から自転車操業に慣れ、公務員時代は何をどうしても決まった額でやり繰りしなければならないことを思ったら、今の仕事は先が見えないけど、どう展開するかわからない。結婚当初からだから、もう20年以上どうにかなってきた。そもそも、準備がないのに目の前にチャンスが来て、掴みたいと思った時に掴まなかったことはない。起業の時もそう。お金が出来てからなんて言ってたら、一生カウンセラーにならないかもしれないなんて、全部こんな調子。お金がまわってきた時、その時できるなら、躊躇なく全額ベット。アホなの。そんな私を「自己信頼が強い」と言ってくれる人たちもいたけれど、カッコよく言えばそうなのかもしれないけど、もっと泥臭いの。やってみなければわからないという感覚だけ。やっぱりアホなのよ。でも、きっとそれは、何かに繋がっていると思う。そんな私だから、最早、「このバランスが崩れた時は潔く受け容れよう」くらいの気持ちでいた。大変だったのは事実だけど、どうも私は楽しく見えるらしい。大変な時を楽しく受けとめる。それが私の得意技なのかもしれない。幼少時の辛さから比べたら、雲泥の差とはこのことだという気持ちでいた。

「おかげさまで、なんとかなってるんだから、まずなんとかなっぺ!

なんともならなくなったら、その時、真摯に考えっぺ!」

どんなに経営が大変でも、気の乗らない仕事は受けない。ビジネスでやっていることは重々承知だけれど、お金ベースで考えたらなにも湧いてこないの。

年に2回の大きなイベントも恒例となり、たくさんの人々のおかげでそれは奇跡の連続で、やっと全体として成熟してきた。セラピストだけに限らず、受講生さんたちにも講師経験、そして、気軽に学べる機会をと、FAITH CAFEという名の学びの機会をスタート。一コマ千円で、アメリカン、カフェオレ、エスプレッソとお手軽なものから濃厚なクラスまで取り揃え、毎月一回くらいのペースで開講した。

その頃には、夫がクラスをするのが当たり前で、確かな結果をどんどん上げていった。

なんだかいい感じに熟してきた、もう少し、もう少しで、あるポイントにたどり着きそうだ!!

はー、長かった、もう少しだ。さて、私も自分を生かす時が来たかもしれない。

そんな矢先、東日本大震災が起こった。

 

 

 

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