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聖地に行って、人間の業や欲をモロにみることになって、
今思えば、だからこそ、私は私の生き方をただ貫けばよかったのだと思う。
完全に道はひらけていて、そこをただ楽しく自分の能力全開で進めばよかったのに。
それを後押しするメッセージをたくさん聴いたにも関わらず、
私はまるで着陸態勢に入るように現実にシフトしていく。

時は、2007年。その年の5月にかつてないほど、スピリチャルな学びを提供し始めたばかり。
その良さも痛感していた。
目に見えない世界を扱い、その魂の質を感じること、宇宙の神秘に触れることで、言葉にできない癒しや覚醒があった。それはもう私だって、ものすごく歓びを感じた。
まるで、長年ずっとやっていたかのように、聖域のようなその場を創り、光の言葉を伝える。
きっと、それでよかった。
その道で、驚くほど経営も順風満帆だった。

鼻唄を歌うように自然に
頼まれずともやりたいことをすることが
こんな現実を創るなんて!

それを実感していたのに。

当時、有り難いことに、私は忙しさを極めていて、古くからのクライアントさんがふらっと思い立って予約を希望しても、二ヶ月も待っていただかなければならない状況だった。
その状況は、当時のスタイル(投薬治療をしている方や隔週など定期的に通いたい方に対応する)を維持できなくなってきて、それは私にとって不本意だった。そういうこともあって、1回のカウンセリングでより多くの氣づきを持って帰っていただくために、2005年には心理学講座を開講。自分の心のメカニズム、プログラミングを解析し、客観的に自分のテーマに氣づき、思考のクセ、行動のクセを自覚することによって、驚くほど、氣づき力が高まった。クライアントさんたちの生命力レベルのようなものが格段に高まってきたので、翌年にはカウンセラー養成講座を開講した。彼らは、自分を助け、人々の希望になっていく人たちだと確信した。楽しすぎるこの仕事も、私ひとりでは限界がありすぎる。例え、カウンセラーにならなくても、自身のテーマを受け止め、乗り越えていく人を増やしていけば、結果として、彼らは、次に乗り越える人を様々な状況の中でサポートしていくことになるだろう。実際、私の開講するカウンセラー養成講座を受講する人々の受講理由は「自分をもっと知りたい」「自分のために勉強したい」がほとんどだった。そして、見事に彼らは自分の関わる世界で役割りを果たしていくことになった。セラピストを生業とする人々も想像以上に誕生した。セラピストになるならないよりも、その人らしく生きていたら、自ずと道はひらかれていくことをセラピスト育成でも感じた。

そんな忙しさも極まっている時に、夫が公務員を辞めて、スピリチャルリーダーになると言っていたけれど、それよりも、私の為に「秘書でもなんでもやります!」という感じで参入。
私としては、スピリチャルリーダーでも何でも、彼は彼で自分の世界を表現する場として好きなことは何でもやってもらいたかった。私の秘書になんてなって欲しくなかった。それは有能な秘書になってくれたでしょうし、実際、ありとあらゆるサポートをしてくれた。でも、私は彼を私のサポーターにしておきたくなかった。彼を青色専従者にしたくなくて、彼の出資で会社を設立。もちろん私が立ち上げた事業なので、私が社長になったけど、会社は100%彼が出資したことで、対外的にも対等に。そこ、私の中ですごく大切だったのだと思う。この仕事に対する私の熱意は子どもを産み育てる時と同じくらいだったし、同時に、私が女性として幸せを満喫することも諦めたくなかったのよね。私が社長で、彼が有能な秘書とか参謀とか、そういう役割りじゃなくて、私も思いっきり自分でいるように、彼もそうして欲しかった。ビジネスにおいては、そこはどうでもいいところで、私が人気カウンセラーだったのだから、楽しくそれで、夫にサポートしてもらってやっていれば経営的にもまったく問題なしだったのにね。でも、それじゃ私がイヤだった。私+夫=2じゃ、イヤだった。役所でものすごく優秀で上司にも部下にも慕われ、信頼されて、私にとっても自慢の夫。私の手伝いをしていても、存在価値は下がる訳じゃないのだけど、そういう問題じゃない。私の中では、時間がかかっても、彼が新しい世界で、彼の世界を創り上げるまで、私は隣でどんなことでもサポートしたかった。自分の夢を実現すること。愛するオトコが自分の世界で輝くこと。その両方を諦めたくなかった。どちらも私の夢。私×夫が生み出すものを私が見たかった。

振り返ってみれば、私たちはものすごくいい夫婦だった。最初から今の感じではなく、もちろん、若いし、純粋にお互いを求め合い熱烈に愛し合ったけれど、すぐに子どもも生まれ、勤務先の関係で週末婚状態、私は産後8週間で職場復帰、長男が生後六ヶ月の時にやっと同居という波乱のスタートだったけれど、数々のことを助け合い、お互いに成長して、家族になった。私がこの仕事をするまでは、役割りがとてもシンプルで、最高にいい流れだった。私は彼の妻で、子どもたちの母親で、好きな仕事をしている人生丸ごと幸せな女性になっていた。彼は私のことは、ずっと支えてくれて、大きな存在。彼が、公務員を辞めたいと言った時も、まったく反対しなかった。とても優秀で活躍していたけど、彼の持っている能力は、あの場所では窮屈すぎるのではないか。彼なら何をやっても、大丈夫!ということもあり、「辞めるなら出来るだけ早い方がいい。新しい世界では新しい世界の在り方があって、遅くなればなるほど、切り替えに時間がかかってしまうから。」と言ったほど。

ところが私たち夫婦にとって、ふたりで事業をすること、しかも、このスタイルの事業をするということは、大きな変化になることは、想像できなかった。「夫婦」という個人的な関係性を超えていくことになり、お互いに夫、妻、だけではない新しい役割りを与えられる様なことだった。これがもう本当に大変だった!!!!!
長い道のりが始まった2007年だった。

 

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