前回までの出来事は、開業して1年足らずの2005年のこと。
リラクセーションは、身体に意識を向けて、筋肉をリラックスする誘導のみ。その誘導だけなのに、毎日のように、いろんなことがクライアントたちに起こり、私は静かに微笑み、その人の人生へ戻って行くのを見送る。
心の中は、ワクワクで燃え上がり、
それと相反するように静寂な自分が共存していった。
ただただクライアントの変容が嬉しかった。
苦しみから、自らを解放する様を私は祝福するだけだったような。
自分としては、ものすごい愉しいけど、
日々、ありのままを受け容れている感覚もあり、自分が変わって行くのは
氣づかなかった。
まるで最初からそうしていたように。
前世療法を本格的に導入したくて、
Dr.サティン先生にスピリチャルヒプノセラピーを教えていただいたのは、
2005年9月でした!
なんと開業してから1年経ってない!今、振り返ると、そんなに早く?!という感覚がある。フツーに臨床心理カウンセリングをしている期間があると思っていたら、自宅から国分町のカウンセリングルームに移って間もなく、いろんなことが起ったのだ。
Dr.サティン先生からは、もちろんヒプノセラピーも学びましたが、それ以上に、ものすごくスピリチャルな情報共有をしていただいたという記憶があります。
「人類の波動が上がっているんだ。20年前と比べるとすごい勢いで。」
とおっしゃっていて、受講生のひとりが
「これからもどんどん上がるとおっしゃいましたが、
そのために私たちがやらなければならないことはありますか?」
と質問しました。
「何もしなくていいですよ。
勝手にそうなります。
この20年、自分の波動が上がったなぁとか、努力して上げてきたとか、
ないでしょう?
これは、自然なことなのです。」
とお茶目にお答えになった後で、
「そうなっていくのだから、
意識を軽やかにして行った方が、気持ちよく生きられると思います。
だから、ヒプノセラピーで潜在意識の整理や浄化をしておくことも
ひとつ役に立つでしょう。」
というようなニュアンスをおっしゃっていました。
(意識だけ、昔に引きずられていたらそれは辛いかもなぁ)
と思ったことを思い出す。
必要なことは、自ずと現れてくる。
それをキャッチした時に、それを掴み、乗っかればいいというようなことも。
当時の、ヒーリングブーム、スピリチャルブームも、その流れのひとつとして現れて来ているのだと
感じた。
こうやって10年以上経って感じるのは、その潜在意識の整理・浄化が、どれほど人生に与える影響があるか、ということ。現在、もう既に当時と比べると、それはもういろんなことが変わっているけれど、「思考の重みが人生の質に大いに関わっている」とセラピーをしていて感じることも少なくない。古い思考から切り替えられない足枷みたいな。だから切り替えを促進させるような出来事が、それこそ「自然に起っている」のだろうと感じる。
とても優しい目をしたサティン先生は、出逢って、ほんの数年後に亡くなったと聞き
とても驚いた。
あんなにお元気だったのに。
奥様は、「(地球の仕事が終わって)次の仕事の時期が来たから、逝ってしまったのです。」
とおっしゃっていたけれど
そうだろうけど、(すごいなぁ、そんな風に夫を見送れるなんて)、と思ったことを思い出す。
2005年秋には、無意識でスピリチャルな感覚を使っていた。
というか、最初から。
きっと、とっくに。
私自身の前世の記憶と思われることをいくつか思い出したのは、この頃。
その年の12月には、ヒーリングエネルギーワークも勉強しはじめた。
気になるものを見つけては、学びに行った。
学んだら、すぐにクライアントさんたちに施術できる環境があることが
なんと有り難いことか。
これが、こんな風に作用するんだ。
これは、こういう方に合うんだ。
etc…
症状に苦しんでいる方にカウンセリングはシビアすぎることも多く、冷静に客観的な考察をする余裕がないことから、エネルギーワークを施すと、かなりすっきりカウンセリングが進められるようなこともたくさんあった。
でもそれは同時に、万人にとって万能なものはないということを学べた。そして、ケースバイケースで対応できることが増えて、ますます私はセラピーの奥深さを学んだ。
日々のセラピーと学びの中で、私自身が、
どんどん導かれて行った。
ずっと前から、そうしてきたような自然な流れで。
開業して1年足らずで、私は本来の道を歩んでいたことに
氣づかされました。
すべて道は用意されたとしか言いようのない
自然な流れで。
サティン先生と。(サティン先生と夫の目がソックリ!
目だけ切り取ると「お父さんだ」と息子たちと盛り上がりました。笑)