約束をしていないのに、九州在住の友人にバッタリ出逢って、そのまま近況報告をしながら、一緒にお食事。
もうどこに住んでいるとか、関係ないんだなぁ。
東京は、様々な人々も集まるところだけど、集まるったって、そんな時間も空間もピンポイントに遭遇するなんてね。
そういえば、以前、ニューヨークのスタバで、前職のクライアントさんと遭遇した。
彼は、海外とのお仕事もしていたけど、私はいつもニューヨークにいる訳じゃないし、スタバだって、ニューヨーク市内に何軒あるんだろう。
そんなことがますます増えて、嬉しくて、笑ってしまった。
彼女と最初に出逢った時に、何か運命的なものを感じた。
ずっと長いご縁になるんだろうな、というような。
あの時から、すごくステキだけど、彼女の当時は隠れていた、本人も意識していなかったであろう「極太の芯」が表になって、誰が見ても、そして、彼女が自分のそういう部分の最高の理解者であることがたまらなく嬉しかった。
その自由さ、潔さは、ものすごく光って見えた。
「今ここ」パワー。
そういう人と出逢うと、自分の可能性までひらけていくような感覚を感じる。
彼女に言わせれば、お互い様と言うでしょうけれど、
運命の出逢いの私たちだけど、ベッタリしたところが微塵もない付き合いができる関係。
私も、彼女もきっとそういう関係は好まないから、普段もそうなのだろうけれど。
今ここで、愉しめる。
何か特別な話はしなくても、よい影響を与え合える関係。
そして、自分のリミットが外れる感覚がある。
最近、パワフルになったとよく言われます。
今まで、抑えていたのかしら(笑)そうなのよね、きっと。
誰かの大切な人になってもいい
死んでも心の中で生き続けるようなものを共有する
そういうのが強くなったというより、抑えなくなった。
どこか誰かの大切な人にならないように頑張ってたなぁ。
でも、かけがえのないものを思い出してもらえるよう、出来るだけのことをしたいという自分はいつもいたなぁ。
「参拝目的」という(笑)クライアントさんも、ウエルカム!なんて思えるようになった。
「あなたはいるだけで、癒されるし、氣づきを発生させるから、お賽銭箱を置いておきなさい。
その辺の神社より御利益がある。」
なんて言ってくださったメンターがいました。
私が私との関係を良好に、自分らしくいること。
その自分で、一期一会を愉しむ。
それが、ますます、もっともっと大事になったことを感じた。
幸せな気持ちでいたら、「赤ちゃんが産まれた」と、これまた大好きな彼女から報告のメールが。
なんてステキなの!