先日、友人たちと話していたときにトピックに出た「ライフシフト」というキーワード。
大きなライフサイクルチェンジ(人生の分岐点)は、いくつかあるけれど、
「ライフシフトは、人生一回」
という夫。
人生最大のシフトは、いつだったのか、という話になり、
私の中では、出来事としては、そんなに衝撃的ではなかったけれど、
初めて父の意向に背き、高校3年になってからの大学進学拒否だったかなと思い返しました。
あれ以来、妊娠や結婚、起業など、大きなことは幾つかあったけれど、そもそもあれがシフトかな。
と思ったけど、でも、待てよ。
一昨年の変化は、今までのそれと違っているから、2016年かな?
すると、夫は、
「2003年のお母さんが倒れたときじゃない?お母さんを助けないと決めた。」
そうか、あれも大きな変化だったのは間違いない。
そう考えると、大きなライフシフトを経験すると、何度も、生まれ変わるレベルでいろんな変化があるのかな。
「いや、違う。やっぱりライフシフトは、人生で一回だよ。
久美子の場合、ごく幼少期にシフトしたんだよ。
だから、それ以降の変化は、微調整なんだよ。」
なんだよー、すごい微調整ばっかりだな
なんて笑ったけど、一緒にいた友人の奥様もそうだよね、なんて話してたら、
その微調整というのが沁みてきた。
微調整かよ。。。。もう。そうか、そうだよなぁ。
ライフシフトととはなんぞや。
それは、自分の責任で生きていくと肚を決めることであり、
自分は他の誰でもないということを心底認めることであり、
人生で起ることすべては自分の責任なのだという覚悟であり、
鏡の中の自分のために生きることであり、
最高の孤独を受け容れること。
それが在り方になる。
そう考えると、コワいほど大人びていた自分の目を思い出す。
微調整かよ。
もう。
そうなのだ。
鏡の中で、私がニッコリ笑って愛らしい微笑みでいられるか。
それは私にしか、どうにもしてあげられない。
誰かが強烈に人生かけて私を愛そうと愛すまいと関係ない。
私が人生かけて、私を愛するしかないのだ。
究極の絶望と最大の希望を胸に、ビビりながらも、果敢に、損得なしで微調整してきたんだ。
だからそれ以外のことには、呆れるほど無頓着になる。
ライフシフトは、ひとそれぞれ。
しないで終わる人生もある。
ひとたび、ライフシフトをしたら、もうその道でしか生きられなくなってしまう。
それは、自分の内側を通して、外側の世界を見るということ。
外側の世界を通じて、内側の世界を見ようとするとわけがわからなくなる。
タイムリーに次回のPodcast「微笑みの魔法」のご質問が在り方についてありますので
ぜひお聴き下さいね。
明日、配信予定です。