第一次産業の「農業」がこの先、とても大きな役割を様々な形でもたらします。
大地とつながり、宇宙とつながるには、農業は自ずとその機会を与えてくれます。
自然は、無限の生命力はもちろん、人間のちっぽけさ、どんなに努力しても、心をこめても、一瞬にして台無しになってしまうようなことも体験できます。
日照りは日照りの過酷さを、日照不足、豪雨、台風、その他のことは、どうにかしようとしてどうにかなるものではなく、ただ、受け容れることを教えてくれます。
自分の在り方がダメでも、与えられるものは果てしないことも。
誰も差別しなければ、罰を与えていないことも痛感することでしょう。
そして、自分が手をかけた分だけ、応えてくれるような体験もできます。
命は、命なのだと思い出させます。
不誠実なことを自然はしないのです。
コミュニケーションをとる楽しさ、無条件の愛のやりとりの機会も与えてくれる。
何より、元気にしてくれる。
大地とつながり、宇宙と容易につながるチャンスがそこにあるのですから。
そして、その大地の恵みをいただいたり、お裾分けしたり、生活を豊かにしたりすることで得られるものは、また祝福されます。
農業をしていればそうなる、ということではなく、その機会を与えられるということです。
農業に意識が向き、高まっていることを私は知っています。
それは、本質的な幸せを思い出す流れのひとつの現れです。
農業をしなくても、大地と触れ合うことは、宇宙とのつながりを再結合します。
畑に携わる人、庭を持っている人、何か植物や花を育てている人は、どうぞその大いなる豊かさを愉しんでください。
意識する、しないに関わらず、その豊かさは、宇宙のメッセージとして、触れあう人々に伝播していきます。
あなたの手料理から、宇宙のメッセージが伝えられるんです。
米でも、野菜でも、味噌でも、梅干しでも、あなたの畑で取れたものは、宇宙の叡智を含みます。
そう、その宇宙の叡智が込められるよう、よろこびの中でコミュニケーションをとりましょう。
その機会が与えられているということは、大地の神殿を与えられているということです。
神事をしているんですよ、農業を通じて。
畑のない多くの人は、その叡智のたくさんつまった野菜や穀物を選んでください。
心をこめて料理して、楽しくいただきましょう。
そして、自分の身体とコミュニケーションをとりましょう。
必要なものがわかります。
レストランでお食事するときも、選び方は同じです。
便利になった一方で、私たちの生活の末端まで宇宙の叡智が届くことは、なかなか難しくなりました。
最初の段階で分断されることが多くなってしまったのです。
だからそれでもうダメだということではない。
それはまるで私たちのDNAのように必要とされると機能しだすようなことが起るのです。
愛をこめて生きる。
それは、どんな小さなものであっても、軽んじることのできない神のエッセンスです。
農業で生み出されたものが、より純粋な宇宙の叡智を持っていると
その恩恵は広く届いていく。
土の声を聞き、汗と共にコミュニケーションすること。
ストレスも大地が癒してくれる。
たくさんのことが、まず土に触れた人々にダイレクトに届くのです。