仙台で活動している時から、日本の様々なところからおいで頂いておりました。
東京に来て「近くに来てくれた!」と言っていただけることもあって、「ここへ来た意味もあるのかな」なんて、独言たりすることもありますが、もはや意味もへったくれも解さず、ただただ「出た目の通り」に進もうと思っている今日この頃です。
出た目の通りなんて、今の私をわかりやすく表しているような気がする。
出た目というのは、直感であったり、縁であったり、ある種の結果だったり、様々なことで現れるのだけれど、それこそが導きだと思っている。もうそれには抵抗しなくなって何年になるのだろう。
昨夜、ボストンに住む妹とオンラインで話したときに
「もし、コロナの時までに引っ越していなかったら、銀座のサロンは手放したかもしれない。」と口から出た。現実には2月末に銀座エリアに引っ越して仕事場と自宅が近くなり、絶妙なバランスで仕事とプライベートのバランスが取れるようになったのだ。自粛生活も、仕事場が近くなので、オンラインのセッションも、メールセッションも、仕事の時はサロンで行うことができた。切り替え下手な私にはこの上ない恵まれた環境だ。今後、どうなっていくかは、今後も、出た目によって進むけれど、今は、この環境に恐ろしく感謝している。
「自分が何をしていくか」というのも同じように出た目をしっかりみていこうと思う。思考レベルでは、もう10年近く前に「やりたいこと以上のことができた」と思っていてネタが尽きている(苦笑)。欲張りだから、生きている限り、やれるだけのことはやりたいし、体験したいけれど、同時に神の意志の水路になれるのならそれは喜ばしいとも思う。
きっと、どちらでも見た目には変わらないと思う。
今日は、10年前から仙台まで通ってくださっていた彼女が来てくれた。カウンセリング中に、みるみる自分に戻り、統合して、バージョンアップする姿を見ることができて、私はニコニコしていた。彼女がどう生きたらいいか分からなくなっていた頃から、幸せな今までの、その過程を感じながら。
「10年前からずっと変わらない先生」と言ってくださって、
「そうなの、私ね、ツールが増えたり、見え方は変わっているところもあるかもしれないけど、『この領域のこと』が変わらないのね。『この領域』にすべてつながっていくの、何やってもね。」
「確かに!そうです、そうですよ!それが変わっていないんだ。」
そうそうそう、なんて言語化できないことを共有できる幸せよ。
『この領域』は、変わらないだろうな。だってそれが私だから。
何度転生しても変わっていないのだもの。
そして、今はこんなに自由にできることが嬉しく仕方がない。
どんなに時代が変わろうと、私は『この領域』に関わっていく。
その地平で、出た目に従って進むだけ。
この領域は、すごく不思議でミステリーだけど、ものすごく現実的であるもの。
私そのもの。
私を生きる。
ということが、それなのだもの。
私が体験したいことと神様の意志の交わるところ。
そこで私たちは出逢っているのだ。